2001年8月19日 主日礼拝式
“創世記”12章4〜8節

「“主の御名によって祈った”」

“木島 正敏牧師” 宣教メッセージ


今朝のメッセージのみ言葉をお読みいたします。今朝は 創世記12章4節から8節です。旧約聖書の15ページになります。
“創世記”
12:4 アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは75才であった。
12:5 アブラムは妻のサライと、彼らが得たすべての財産と、カランで加えられた人々を伴い、カナンの地へ行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地へはいった。
12:6 アブラムはその地を通って行き、シュケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。
12:7 そのころ、主がアブラムに現われ、そして、「あなたの子孫に、わたしはこの地は与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
12:8 彼はそこからべテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはべテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。

一昨日の午前と夜、2度にわたって教会では特別祈祷会を持ちました。ダイヤモンドチャペルの返済について、私たちの取り組みとビジョンが明確になるように、主の祝福を求める祈り会でした。そこに出席した方々は、返済という、どちらかといえば重い課題について祈りましたが、そのことにとどまらず、ひとりひとり本当に主に触れられ励まされました。

ひとりの姉妹の、自宅購入の体験から語られた、十一献金の恵みについての証しは、聞く人に「自分もそんな体験をしてみたい」と思わせる、素晴らしく分かりやすい励ましでした。皆励まされ、心を探られました。元気が出ました。

語られたメッセージを聞いているうちに、改めて平和台チャペルが始まって、ミッションホール、ダイヤモンドチャペルと広がった、教会の歩みについて、自分なりに思いを馳せ、素晴らしいと思わされました。

私は、1976年に聖書学校を卒業し、北アジア宣教のビジョンを持って、聖書学校を卒業して、帰国しました。それから、しばらくウィクリフ聖書翻訳協会という団体で奉仕をし、横須賀の衣笠の学習塾でアルバイトをしました。その時、大船に住む同僚がイエス様を信じて救われました。

そのフォローの意味もあって、私も大船の岩瀬にあるアパートの一室を借りました。その夕方に教会を捜し求めるため、外へ出ました。たまたま大船ルーテル教会(小菅ヶ谷生協)の前の電話ボックスで電話帳を繰りました。福音という名前があったらいいなと思っていると、たまたま「本郷福音教会」とあったので、名前からしてここは間違いないと思って、電話をしました。

すると、牧師婦人が「今日はもう集会が終わりましたが、水曜日に祈祷会がありますからどうぞ。」という美しい声の案内をいただきました。その日が平和台チャペルの完成を祝う献堂式の日であったということは、後で知りました。当時の水曜日の祈祷会は、長いベンチをチャペルにコの字に置いて、5〜6人の出席者で、こじんまりとしていました。

先生ご夫妻と年配者だけでしたが、そこに一足をふみいれただけで強烈な印象を受け、主に対するワクワクするような期待感が満ち、「ここだ!」と感じました。私は北アジア宣教のビジョンを語ったところ、池田先生は「実は私も開拓の最初から、地域宣教と世界宣教は大切な2本の柱であると思っています。」と言われましたので、すごい先生だと思いました。

その日、おいしいお寿司をいただいた以外、他に何が語られたか覚えていませんが、このふたつのことは鮮明に印象に残りました。その時に何かが起るという期待感、地域を見据え世界を見据える確かな目、このことは私の心にとどまりました。そして、それは今も脈々と教会に流れていて、今日「ミッション3000」として、さらに明確なものになっています。

その後、二度にわたって平和台チャペルの改築を行いました。牧師館が与えられ、やがてミッションホールが与えられ、ダイヤモンドチャペルに働きの中心が移りました。礼拝出席者数は、当時の40名弱から現在の300名を越えるまでになりました。

300人と言う時、数字として見た時、教会の規模が大きくなったことを良いことである、と言っているのではありません。一人一人がどのように救われたかを思いおこしながら、このことはきちんと整理しておく必要があります。一人を追い求める主の愛と熱心がありました。

私自身を振り返ってみると、どうにもならない行き詰まりのなかで、生きる意味を失って、いつ滅びてもおかしくない状況でした。しかし、主によって、滅びのふちから救い出されて、永遠のいのちをいただきました。罪と弱さから解放されて、喜びと平安をいただきました。人生がまったく変えられた、と断言できます。

ですから、300人がこの祝福を得たことは素晴らしいことです。これを喜ばないわけにはあるでしょうか。300人というのは、祝福の積み重ねをあらわしています。今日も、港南台に住まわれるS兄弟のご両親と、平和台に住むN兄弟の3人が洗礼の恵みにあずかられました。300という数字は規模を表わすのではない、一人、また一人、という救いと祝福の積み重ねを表わしているのです。

こうして見ると、神様は教会に対する期待の大きさを改めて見る思いがします。ミッション3000は、まだスタートにもついていない気がしました。また、その必要を満たすために多くの財をささげられた、教会員ひとりひとりの献身と主への信頼の深さを、祈祷会のなかで思わされ感動しました。

その陰には、捧げるうえで痛みが伴います。余ったお金を捧げる人はひとりもいません。痛みを感謝に変えて捧げているわけです。人知れぬ信仰の決断の物語があったでしょう。ささげた結果として、毎月のように主に頼らざるえないような体験をします。生ける主の真実を体験された方も多くおられるでしょう。

イエス様は「右の手のしたことを左の手に知らせるな。」とありますから、捧げた一人一人の物語は、この地上ではあまり耳にすることができません。しかし、ベールがはがれて、天国ではいっさいが明らかになる時、あの時のこと、この時のことにまつわる真実の記録に改めて接することができ、主をあがめることができるでしょう。

さて聖書に戻りますが、アブラハムは、主がお告げになったように、カナンの地、約束の地に向かって行きました。向かっていくという重みは、いかなるものでしょうか。いかに、信仰の人であろうとも、主が祝福を約束された地と言われても、だれも知った人もいない、風習が違う、異国の土地に乗り込んでいくのです。年老いて、75才になって、家族をひきつれていくということに対する緊張もあるけれども、不安もない、という状況が目に浮かびます。

“へブル”
11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこへ出ていくのかを知らないで、出ていきました。

とあります。

行った先でどういうことになるのか、何が待ち受けているのか分からない、という先の見えない状況をいっているのでしょう。そこには祝福するという約束があります。カナンの地は、本来「乳と蜜の流れる地」と形容される豊かな土地です。

“申命記”
8:8 小麦、大麦、ぶどう、いちじく、柘榴(ざくろ)の地、オリーブ油と蜜の地。
8:9 そこは、あなたが十分に食物を食べ、何一つ足りない物のない地である。

と主ご自身が形容されている豊かな土地です。

しかし、約束に従ってアブラハムがそこに足を踏み入れた時、豊かさを求める期待は裏切られました。そこにはききんがあって期待が裏切られました(10節)。

ここで、私の家族の体験を思い出しました。95年にモンゴルの地に家族とともに降り立った私たちは、この時のアブラハムの心境そのままでした。私たちの飛行機は、ゴビ砂漠のうずまく砂嵐のために、ウランバートル上空まで来ながら着陸できずに、北京に引き返し、不安のなかで一夜滞在しました。

翌日の夕方にようやくウランバートル空港に到着し、とりあえず家内と私は4人の子供の手をひきながら、荷物を一泊6ドルのホテルにたどりつきました。食事をしようとしたところ、店には棚があってもなにもなく、食事は近所の店でなんとか見つけた硬いクッキーと、ビンに入ったウンダーというジュースを数本みつけ、最初の食事をしました。

それから同じのような状況が3週間経って、アパートに移りました。主が遣わされたと息ごんで行きましたが、心なしかだんだん気落ちしていかないわけがありません。ボストンバックがテーブル代わりです。「これからどうやって子供達に食べさせ、勉強させようか。どうやって働きそのものを始めようか。」と考えこみ、暗い気持ちになりました。

その時、はっとして思いがよぎり、ひざまづき、祈りが必要だと思いました。その時に、言うに言われぬ慰めと「主がいてくださる。このことは主の御手にある。大丈夫だ。」という確信が胸に迫り、慰められました。ひざまづく瞬間を待っておられるような感じでした。立ち上がった時には、違う確信に満たされました。

やがて背後の祈りに支えられました。5年間のうちに本当に多くの人が主を信じ、教会が2つ、3つと、できていきました。しかし、その原点には、そういう弱さをもっておりました。そして、主がふれてくださったということがあります。

主に従って信仰によって歩む時、「従えば、祝福があるだろう。」という期待だけを持っていると、すぐに裏切られた気持ちになります。主に従う歩みは、この世の人間的な見方からすれば、「これで大丈夫であろうか。損をするのではないか。」というような道を通ることが多くあり、それが現実です。

イエス・キリストご自信の歩みをみた時に、私たちは多く発見いたします。神が神のあり方を捨てて、この地上に来てくださったことを、有り難いと言った人は誰もいなかったのです。主が痛んでいる人を教え、いやされた時に、有り難いと思って来た人はおらず、その報いはねたみでした。

人間の損得勘定からいけば、これほど割はあわないことはありませんでした。批判され、逮捕され、ののしられ、むち打たれ、十字架につけられ、死なれました。それが人間イエスの生涯でした。

しかし、死にまで従った、その従順をみておられる父がいました。それゆえ、彼を高くあげて、全てに優る名を与えました。それは、「ひざをかがめて、イエス・キリストは主である。」とほめたたえるためであります。

人間的には報いられない十字架の道でした。しかし、それは全世界の罪の贖い(あがない)をなしとげ、死に打ち勝つ勝利の道でした。この道を信じる他に、歩む道はないのです。キリストを信じ歩む道は、主の歩まれた道以外にありません。

まずそこには服従という、いわば担うべき十字架があります。主に従った結果として起った、どうにもならない状況に、1度や2度でなく、直面することがあります。しかし、そこで私たちは祈りを知るのです。その場所が、私たちを祈りに追い込むのです。

そこに「主はアブラハムに現われ・・・仰せられた」(7節)とあります。祭壇を築き、主に祈るしかないところにまで追いやられた時に、主は親しく現れ、出会いました。ここに、臨在というべき、より深い主との出会いの体験があります。

私達が担うべき者をになって追い込まれ時に、従順をためされた時に、よみがえりの体験をした時に、勝利が待ち受けていることを知ります。これが、私たちが見る約束です。従順は、よみがえりの勝利へ続く歩みです。従う中で真実の神に目が開かれるのです。

アブラハムが行く先々で「祭壇を築いた」(7節、8節)とあるのは、必然的なことでした。見えない神を見る眼、見える物よりさらに確かなものを見詰める目が開かれました。

彼には、家族と一族がいました。出て行き、困難にあった時、皆が一族の長である自分に目が注がれた時、彼は歩みの原点にある主に目を注ぎ、試練の中で主に祈りました。その時、「大丈夫だ。主がおられる。」という、平安と確信が与えられた時、家族や一族に振り向きみつめました。そのことが、群れを支えたのです。

この時代、私たちは確かなものを持っていないようです。日本国民は、精神の神がないと、言われます。しかし、私たちには、祭壇があります。イエス・キリストを持っています。私たちは、永遠に変わらない主をみつめる時に、この方に呼び求めることによって、みえるものよりも確かな、みえない方の祝福があるという確信をもつことができます。

この確信のなかに、私たちは今日も支えられております。主をあがめます。


お祈りをいたします。

私たちは、みえるものではなく、みえないものにこそ、目をとめます。みえるものは一時的であり、みえないものが続くからです。主よ、今日も、あなたは、私たちひとり、ひとりの者に祈りに耳を傾け、痛む心、願いを聞いてくださる方、感謝いたします。「大丈夫だ、わたしだ、恐れるな。」と主を体験しつづけることができるように、ひとり、ひとりを支え続けてください。イエス様の御名によって、お祈りいたします。