| 2002年8月11日 特別礼拝 “ヨハネ第Tの手紙” 4章7〜10節 「“神との平和”」 “池田 博牧師” 宣教メッセージ |
| 今朝のメッセージのみ言葉をお読み致します。今朝は ヨハネ第Tの手紙4章7節から10節 です。新約聖書の430ページになります。 “Tヨハネ”
はい、聖書は以上です。それでは、この個所から池田主任牧師より『神との平和』という題でメッセージを頂きます。 おはようございます。暑い夏でありますが、今日もこうして皆さん元気な顔で共に礼拝できる恵みを感謝したいと思います。今日は8月の11日です。第2の主日は特別礼拝ということですが、今日もそのひとつです。まもなく8月15日を迎えます。これは日本にとって大事な終戦、敗戦の日であります。その日を前にして、今日は『神との平和』ということをタイトルとして挙げさせていただきました。ご一緒に考えてみたいと思います。 皆さんは人間とはどんな存在かということを考える時によく言う言葉でありますが「人間はエゴイズム、エゴの塊だ。」と言います。どうでしょうか。考えてみると「そうだなー。」と思いませんでしょうか。エゴイズムという言葉の方が日本人に慣れ親しんでいるようですが、日本語に訳しますと自己主義ということです。 自己主義というと、何か改めて辞書でも引きたくなりまして、辞書を引いてみました。有名な新明解サンで引いてみました。そこにこう書いてありました。「自己主義それは自分だけの利益、幸福、快楽を求めて他人の立場を全く考えない態度。」これが自己主義という風に説明がありました。なるほどと思います。 自分のことだけを考えて他人のことを全く考えない、そこまではないんじゃないかと思うかもしれません。しかし、人間いざとなったら、或いは極限的な中では、やっぱり人間はエゴの塊だと言わざるを得ない状況というものがあるのかなーと思います。 今日はその事を2つの面から考えて見たいと思います。そして、その上にたって、先程読んで頂きましたみことば「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」自己主義の塊の私たちに対して、神は自己犠牲の愛を顕してくださったというところに話しが導かれるようにと願っています。 この夏私ども夫婦は10日間ほど夏休みで沖縄に行ってまいりました。沖縄は家内の郷里なのですが、でも、いつも奉仕で沖縄に行くことは何度もあるのですが、休みとしてゆっくりと沖縄に行くチャンスがなかなか無くて、何と結婚して以来初めて、33年ぶりに行って参りました。 33年ですから2昔も3昔も前のことでありますので、沖縄は本当に変わっていて、那覇などの都市は日本と全く変わらないのですが、家内が生まれ育ったところは北の方です。ヤンバルといいます。そちらの方は、道は綺麗になっていますが、自然があって、家は無くなっていたのですが、垣根があったり、川が流れていたり、山があったりという自然は変わってなかったのです。 そんな懐かしいヤンバルにも行ったわけですが、でも私は沖縄に行く大事な心の目的がありました。それは、沖縄の戦跡、戦争の傷跡をしっかり見て、心に刻みたいという願いがありました。そして、沖縄の戦跡の象徴ともいわれているのがひめゆりの塔であります。皆さん行った方も多いと思いますが。 私は今回結婚前に行って以来初めてゆっくりと見てその変化に驚きました。後で少しスクリーンに映してお目にかけますが、そのひめゆりの塔と隣に立派なひめゆり平和記念資料館というのが出来ていまして、こういう素晴らしい資料集がそこには売っておりました。これを買って改めて読んだりもいたしました。 その資料館に入りまして、一つひとつ悲惨な戦争の出来事を改めて振り返ったことでありました。或る所に当時自然の壕を改良してそこが野戦病院ということで、将兵をそこに入れて手当てをしたというその模型がありました。そこをじっと引き付けられるような思いで見ていましたら、一人の女性が近づいて来られたのです。 その方は話しを聞いてびっくりしましたが、何とひめゆり部隊の生き残りの方でした。年老いた方でした。でも、当時の事をしっかりと私たちに思い出深く語って下さいました。聞く私の心に染入るように伝わってきたことでありました。 この方は、皆そうだったのですが、当時女学生でした。或る日その女学校に指令がきて、今日から数週間看護の勉強をするということになったそうです。にわか看護の勉強をして、既に米軍が迫って来ているという戦火の中で、最初は南風原という病院に行ったそうです。でも、まもなくその病院も攻撃を受けて、駄目になってしまったために、あちこちの壕に入って、そこで手当てをするというようなことになっていきました。 有名なひめゆり部隊というのは、首里の女子範学校の生徒たちとこの人たちがそこに行って、そこでやがてほとんどの人たちが亡くなっていくという悲惨な出来事が展開していくわけです。そのあたりのことを話してくださいました。 そして、その場所を改めてみた時に、私は本当に悲惨極まりないということが判りました。(一寸その画面を映してください。)これが現在のひめゆりの塔のあるところです。右がその記念碑のあるところで、左の奥のほうに資料館が出来ている。この塔のあるところの下に深い壕があって、そこから中に入るようになっていて、深く入っていくと資料館の下の方に出られるという風に資料館と一体になっている事を知ったのですが、そこでひめゆり部隊の200人以上の人が亡くなっていったという場所であります。 そこには家内の友だちのお父さんも教師をしていて、亡くなっているということも聞いていたので、その名前もあるはずだと見たら、ちゃんと写真で名前が載っていたりしたのですが、そういうところでありました。 その方が一つひとつ話してくださるその中で、最初は何も判らない自分が傷の手当てをし、或いは負傷した人の血を見たりした時に、わなわな震えるような状態でありました。でもやがて、その壕の中に片腕の無い人が入って来、足がもがれている人が入って来となった時に、もう最初のうちは涙の中で手当てをしていたのだけれども、段段に慣れていって、ふと外に出てみたら、そこには死体が転がっていて、その死体を処理するのに米軍が落とした爆弾の痕の穴に合掌しながら葬ったりしたということでありました。 でもそれが、次々に死体が転がっているのを見た時に、もはや涙も無く、なにか物を放り込むようにして死体をそこに葬るようなことになっていってしまった。僅かの期間に人間がこれほどまでに変わってしまうのか、これほどまでに涙がなくなってしまうのか、その自分の変化に驚いたと話しておられました。 そのひめゆりの塔がやがてまた、こういう方々がそこに立っていましたが、これはこの首里の女子範の生徒たちで、この大半がひめゆり部隊の中で亡くなっていきます。本当に、今ニコニコして、やがて、このように大変な事態になるとは夢にも思わない姿であります。その後、戦争になった時に、これは首里の教会の写真です。戦場の只中にあって、こんな悲惨な状態になっている。そんな状態の象徴でもあるかのように、このようにして、人の殺戮がどんなに悲惨かということを表しているかなーと思います。 もうひとつ、これはあまりよく判らないかもしれませんが、壕の中の様子です。ここには錆びきった医療器具や水筒とか色んなものがあるのですが、沖縄は暑い中です。壕の中がどんな状態か、想像を絶するような光景であります。こういうところが至るところにあったということです。 最後にもう一つでありますが、あの立派なひめゆりの塔でありますが、戦後まもなくの頃にはこんな焼け野原で悲惨な状態がそのまま現れているということであります。 この資料館を建てたのはひめユリ部隊の生き残った僅かな人たちの努力、願いの中からできたということを知りました。そして、この資料集を作るにあたって、その前文にこういうことが書かれてありました。それを読ませて頂きたいと思います。 「沖縄戦は90日余の死闘で日米双方に20万余の犠牲者を出しましたが、その内、12万余は沖縄住民でした。米軍は沖縄戦を本土攻略の浮沈空母として確保する重要作戦と位置付け、日本軍も米軍の本土上陸を1日でも長く阻むための持久戦と位置付けました。沖縄守備軍はこの至上命令を受けて、玉砕方針で沖縄戦に臨む事となり、県民の根こそぎ動員が企てられました。 米軍侵攻に備える沖縄守備軍は県下女子中学校の生徒らに看護訓練を強化し、米軍が上陸すると直ちに学徒隊を編成して戦場に駆り立てました。なんの法的根拠も無く少女等の戦場動員を強行したのです。1945年3月23日深夜女子師範及び沖縄1高女子寮の全員と自宅通学生の計222名、職員18名が南風原陸軍病院に配置されました。 生徒らは唯祖国の勝利を信じて砲煙弾雨身の危険も省みず負傷兵の看護や死体処理、医療器具・薬品・食料や水の運搬等命ぜられるまま献身的に協力したのです。5月下旬、日本軍は南部に敗走し南風原陸軍病院や各地の野戦病院も南部へ撤退しました。そしてすでに壊滅状態になっていた日本軍は喜屋武半島の戦場の真っ只中で学徒隊員に解散命令を下したのです。 年端も行かない生徒たちを米軍の包囲網の中で投降を赦さず地獄の戦場に放り出したこの解散命令が学徒隊の犠牲を更に悲惨なものとし学徒職員合わせて219名が尊い命を失いました。 あれから40年余言語を絶した当時の惨状は片時たりとも私たちの脳裏を離れません。私たちは真実から目を覆われ人間らしい判断や思考も生きる権利さえももぎ取られ死の戦場に駆り立てられたあの時代の教育の恐ろしさを決して忘れません。戦争を知らない世代が人口の過半数を超え戦争体験も風化しつつある今日しかも核の脅威にさらされる昨今の国際情勢を思う時私たちは私たちの戦争体験を語り継ぎ戦争の実相を訴える事で再び戦争を有らしめないよう全力を尽くしたいと思います。 この想いをひめゆりの心とし永遠に世界平和を訴えつづける事こそあたら尊い命を失った生徒らや職員の鎮魂と信じ私たちは県内各位のご好意とご協力を仰いでこの地にひめゆり平和記念資料館を建設しました。」 これは1989年のことであります。このようにしてひめゆりの塔の資料館が完成したのであります。私たちに話しをしてくださった方が言っておられたのですが、「僅か3ヶ月足らずのこの期間に私は自分のこれまでの人生の何十年を遥かに超える私にとっての生涯を全く変えてしまった、これは私にとって忘れられない出来事になりました。」ということでありました。 いざとなった時に人間はここまで変わってしまうのだろうか。別の時に聞いた話ですが、壕に入って、隠れているところに日本軍が入ってきて、そこに隠れている沖縄の人たちを追い出し、無残に死んでいく様も見た。赤ん坊が泣いていたら、それを殺せと言って、目の前で母親が自分の子どもを殺すという場面もあった。いやだといって、自分の腹に抱えたら、親子ともどもに刺し殺した。 そういったことが現に起こっていた。そういう中で人間がここまで無残な事をしてしまうようになるんだ。目の当たりに見せられて、戦争の怖さ、誰も願っていない戦争、でもいざそうなった時に、これほどまで変わってしまう。ですから戦争は2度としてはならない。それはとても説得力のある訴えだなーと思いました。 皆さん、今その戦争から日本は57年が経ちました。そして57年以前を振り返った時に、今ここにおられる方も実際戦争を体験したという方はほんの一部の方であろうと思いますが、私も戦争そのものにはかかわっておりません。ですから戦争を知らないということでもありますが、それだけに何か戦争はもはや過去の事、戦争は記憶の外側に置かれている。記録としては残っているかもしれないが、でも心にはもはや残らない事、そうなりがちかなーという風に思います。 そして、思います。確かに戦争はあってはならない事でありますが、日本は既にその戦争が無い時代を57年過ぎております。それでは、戦争が無い平和で、全て良しと言えるだろうか。人々は戦争が無いというだけで、本当の幸せをそこに持つことが出来ているだろうか。その事も思わせられます。 そして、もう一つの面から目を留めてみたいのであります。人の心であります。先程もありましたけれども、神様は私たちの教会にオルテガさんという方を送ってくださいました。6月の19日の夕方玄関に親子が来られました。私はサッカーにあまり関心が無かったものですから、オルテガさん、さて、この人はどういう人だろうと思いました。 やがて、少しずつこの人が大変な人なんだということを知っていったわけです。世界的に有名なマラドーナと並んで有名な人だという事で、得点王にもなったということでありました。しかし、なぜそういう人が今ここに本郷台に来たのだろうかと思いました。でも、つい一昨日帰っていかれましたが、50日間の滞在の間に、オルテガさんが残してくれたもの、また、オルテガさんのなさった事の中に見せられたもの、それは大きいそして大切な事だということです。本当にそう思いました。 オルテガさんは超一流のプロサッカープレーヤーでありますが、この方がこの本郷台に滞在期間中になさった事、そして私が接してお話しを聞いている中で感じた事からするならば、名サッカープレーヤーである以上にこの方は素晴らしい心のカウンセラーだと思いました。 特に若者達へのカウンセリングは目を見張るものがありました。「若者が今教会に来なくなっているのですよ。」とさりげなく話すと、「そうですか。誰ですか。どなたですか。」と言うのです。そして、「実は、あのうちの子がそうなんです。」「そう、じゃーお会いしましょう。」で、1日サッカーをして、疲れきった体を持っているのに夜になって、出かけていくのです。 サッカー好きの少年かといえばそうじゃない。音楽好きの少女だった。ギターが好きな少年であった。でも、音楽でもギターでもいい。目はその心が傷んでいる少年青年少女たちにあった。そして、時をあけてその傷んでいる少年少女たちの心に触れていっている。そして、何人かの魂が見事に立ち返っているのです。第1にY・Hちゃんが来ていたのですが、その一人でした。 本当に彼女は西宮からこちらに戻ってきた時から、ズーッと離れていました。祈っていたのですがなかなかチャンスがありませんでした。でもオルテガさんが出かけていって、友だちになって、一緒に歌を歌ったりしていく中に心が触れ合った。見事な心のカウンセリングをしてくださった。そして立ち返って、今毎日教会に来ていて、朝から晩まで教会に来ていて、変えられている。不思議だといえばそうです。このオルテガさんは心のカウンセリングとして立っているのだなーと思いました。 私はこの方の将来のために出来る限り色んな方に会わせておきたいなーと思いました。先日は元横浜市の助役であった方にお会いしました。それから元相鉄の副社長さんにもお会いしてもらいました。又、区長さんにも会ってもらいました。元相鉄の副社長・岡さんにお会いした時に、岡さんは感動して「こういう人を神様は送ってくださった。この人のために私は尽くそう。」そう堅い決意をされました。 それ程の人なんだなと思いました。そしてオルテガさんは会う人会う人に相手が誰であるかに関係なく「私は日本に来て日本の多くの人たちが傷ついているのはとっても傷みます。特に若者の心が傷ついています。そして若者と親との関係が傷ついている。或いは家庭が壊れそうになっている。それを見て傷みます。私は彼らの心のケアのためにこの日本に出来れば滞在したいのです。」と訴えられました。 そして、言います「良いスポーツ選手になるためには、先ず心が健全でなければいけません。親子の関係がきちんと整えられなければいけません。ですから私は子どもを指導します。あなたは家でちゃんと手伝いをしていますか。自分のことを自分でちゃんと整理できますか。それが出来ないならばサッカー選手にはなれません。いいサッカー選手にはなれません。」 子供たちは真剣にそれを受け止めて、そして変えられている。私はオルテガさんの持っている心の目はイエス・キリストの目だな、まさにイエス・キリストの目だなと感じないではいられませんでした。 新聞、テレビのニュースを見て不幸な事が起こると胸を押さえて即祈る人でした。特に若者の事を聞くと、居たたまれない気持になっているのが良く判りました。私はそういう姿を通して改めてこの方がここに送られて来た意味がどういうものであるか深く考えさせられ、受け止めさせられたことでありました。 若者が何故そのように傷ついていくのかということを突き詰めていった時に、そこにはやはりエゴがあるなーと思わざるをえません。親は子どもの事を考えないはずは無いのです。子どもの幸せを考えない親は誰もいません。子どものためにどんな犠牲も惜しまないとそうも思っているでありましょう。しかし、現に子どもは傷ついているのです。子どもの心は傷んでいるのです。 傷んでいる、傷ついている子どもの心を実は親は子どものためと一生懸命考えて行動しているんだけれども何処かでいざとなった時にやっぱり親のエゴがそこにあるでしょうか。人間のエゴがそこにあるでしょうか。出来ない現実や問題を指摘して、何故出来ないのか、なぜそうなのか、と指摘するのが親、人間、先輩です。 そうならざるをえない、そうなってしまっている子どもの心のところに降りていけない。私たちの、人間の醜い姿がそこにあるということです。私は改めてオルテガさんの中にそれを見、イエス・キリストの光の中にそれを見た思いがいたします。 一寸ルカの福音書23章を開いてみてください。152ページになります。これはイエス・キリストが最後の十字架にかけられる前に捕らえられて、裁判にかけられて、死刑の判決が出て処刑されていくという過程の場面であります。先ず13節からお読みいたします。 “ルカ”
ここに裁判官ピラトとありますが、この人はローマから遣わされたユダヤの最高責任者、司令官であります。裁判官として今ここに立っているピラトの判断と行動はまさに正義の味方としての正しい判断で常識ある判断、正しい決断がなされている事が読んだだけでも良く判ります。 でも、問題はその先です。 “ルカ”
ピラトという人は冷静に、公正に裁判をして、そしてそれを主張し続けました。最も権威ある立場としてここに判決を下しているわけであります。でも、それが民衆裁判により群集がそれに従わないで「十字架だ。十字架につけろ。キリストを十字架につけろ。」と叫んだ。 そして、「代わりにあの強盗と殺人で捕まっているバラバを赦せ。」と言って、とんでもないことを叫んでいる訳ですから「何を言っているか。」と言ってもいいはずですが、そんな気持も含めてのことでありました。 でも最後は逆転しているのです。「そしてついにその声が勝った。」どうして勝ったんでしょうか。どうしてピラトは負けたのでしょうか。24節「ピラトは、彼らの要求どおりにすることを宣告した。すなわち、暴動と人殺しのかどで牢にはいっていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。」 ピラトは心が弱い人だったでしょうか。脆い人だったでしょうか。そうではない。誰がピラトになったとしてもやはりそうなったかなと思うところであります。皆さん、何故ピラトはひっくり返ったのでしょうか。彼は自分の将来を案じたからです。自分の身を考えたからです。 ローマから小国イスラエルに遣わされた長官である。でもここで暴動が起きたとするならば「お前はこのローマから遣わされていながら、小国一国をも治められないようなそんな人間なのか。」という判断が下されるであろうか。そういう声が聞こえてくるであろうか。それは彼にとって致命傷、彼の将来に傷がつく。彼のエゴがここに出てまいりました。 彼の自己中心といえばそうですが、しかし、誰もがそうなるでありましょう。それは自分の身の安全を考える事、当然の防衛本能だったといえるでしょう。しかしまさに、そこにその声が勝ったということになっていき、一人の正しい人、罪の無い人イエス・キリストを罪に渡しました。十字架に渡してしまったのです。 でも、この時のピラトにとってイエス・キリストは一介の罪人に過ぎない。自分の手中にあって、どうにでもなる存在でしかなかった。そうです、あなたにとって子どもがそうでしょうか。あなたの他人がそうでしょうか。周りの人がそうでしょうか。あなたの存在がそうでしょうか。 そのようにして、私たちは何処かで自分を中心に考え、自分の立場で考え、自分の利益で考え、そこでの良し悪しを超えて、善悪の判断を超えて、そして実は、そのようにして私たちは自分の心の中にある醜い罪が、利己主義という罪があなたの心を毒し支配してしまっているという現実に突き当たっていくのであります。 そういう中にあって、その矢面に立って、その曝される中心にあって、イエス・キリストはどうであったでしょうか。その先34節を読みますとこうです。「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』」 「父よ。彼らをお赦しください。」と祈っているのです。彼らの不当な裁判を、ピラトのあの心変わりを、群集の善悪をどうでもいいように考えているその声を、そして祭司長やパリサイ人といった当時の宗教家達がしているなんともエゴの塊の行動に対して、キリストは逐一それを取り上げて、正しい判断で日の光の中に彼らを曝す事はなさらなかった。 そうではなかった。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」そうです。良い事をしているかのようにして、正しい事をしているかのようにして、自分は良かれと思ってそうしているんだと思い込んでしまっているその中にあって、実は濁っている、エゴになっている自分に気がつかない彼らを「赦してやってください。」 皆さん、どうでしょうか。今日心に手を当ててみませんか。光を当ててみませんか。子に対して、夫に対して、妻に対して、兄弟に対してどうでしょうか、私たちは。横になっていないでしょうか。いや、人類の誰一人としてそこにたっていない者はいない。皆そうです。 唯一人イエス・キリストはその全部を知っての上で、いや知っているが故に「父よ、赦してください。わたしを裁いてください。わたしを罪の身代わりとして裁いてくださって、彼らを赦してください。何故ならば彼らは救われねばならない。わたしは彼らを愛しているからです。殺してはならない、愛している者だからです。」主はそう言われます。 最初に読みましたTヨハネ4:10「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」キリストご自身が赦してくださいと祈った。そして神は又それを良しとされて、むしろキリストをなだめの供え物、罪の身代わりとして十字架につけることを通して人類を愛するとはどういうことかをここに示してくださっている。 さー、その愛の中にあなたが飛び込んでご覧なさい。そして、あなたの心の中に神との関係において平和が、神との関係において愛が心の中に注がれていく時にあなたが変えられていきます。自己心から犠牲の愛が少しづつ少しづつ流れてきます。家族の中に、夫婦の間に、親子の関係において変えられていきます。 そこからいのちが流れます。そこから真の平和が生まれてまいります。キリストはまさに唯その事のためにこそ来てくださいました。このキリストの愛を今日もまた心の中にしっかりと留めたいのであります。 お祈りを致します。 ですから、どうぞ主よ。そんな私です。いざとなった時に本当に自我が出てしまうそういう私です。そんな私を赦してくださるんでしょうか。愛してくださるんでしょうか。あなたはいのちを与えてくださるんでしょうか。主よ、あなたの前に額づきます。あなたの前にへりくだります。どうぞ哀れんでください。そして、新しくあなたのいのちに生きるもの、愛に生きるもの、恵みに生きるものとさせてください。 尊い救い主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン! |