2003年1月5日 主日礼拝 
エレミヤ33:9

この街を福音で満たす。

池田 博師 宣教メッセージ

今日のメッセージのみ言葉をお読み致します。今朝は例年通り新しく与えられたみ言葉から、共に見てまいりたいと思います。新しい年、来年と2年にわたりますけれども、エレミヤ書の33章9節、旧約聖書1199ページになります。ここをお開き下さるようにお願い致します。

エレミヤ書
33:9 この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。

はい、聖書は以上です。標語として、あそこに書いてあります、前半の部分ですね。ご一緒に声を出して読んでみましょう。「この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。アーメン!」与えられた み言葉であります。

新しい年を迎えるにあたって、祈り備えておりました。迎えて今日の主日のためにも祈っておりました。そう言う中で様々な側面から、主の前で祈らせて頂きました。これまでの全部を数えますと555名ですね。先生それって召天者も含めているのですか。そうです、と言ったら、召天者を含めるのはどうでしょうか。そう言う意見も出たりして、で改めて、それも1つの声かと思って、召天者を数えて見たんですね。そうしましたら、41名ありました。私は召天者は、家族、遺族、のためにと言う事も含めて、全部を入れているのですけれども。この群に森兄弟姉妹達が家庭集会を初めて、今日に至っている訳でありますけれども。

これまで洗礼を受けた方は403名、これに加えて転会者が152名ですか。それで、555名ですね。仮に召天者41名を除きますと、514名となるのでしょうか。そう言う数字になりますが、いずれにしても500名を越える方々が、この本郷台キリスト教会の主の教会に導かれて、そして、名を連ね、あるいはそこから召天し、あるいは転会して行った方々もあるわけですが、1度ここに名を置いて主に仕えた事に於いて大事な1人1人であると覚えます。

そう言う1人1人の事を改めて心に留めながら、昨年はそう言う人々の中から、帰って来る事を期待し、祈って来た事でもありました。そう言う事も含めて1人1人に、この1年がまた豊に祝福される1年と成るようにと祈らせて頂きました。そしてまた病める方々も結構おられます。病の中にある方々に主の慰めと励ましとか与えられ、そして又癒しの業がなされる様に、あるいは又主が定められたよわいが満ちる人があるならば、終わりを全う出来る様に、主の前に祈らして頂きました。又試練の中にあって、試練からの脱出を願っている方々には、必ず第1コリント10:13にあるように、「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」脱出の道を備えると言われた。その様に、約束の様に、み言葉の様に、脱出の道が必ず備えられるように祈らせて頂きました。

また新しい導きを求めている人々、そう言う方々には、主からの確かな答が与えられる様に、祈らせて頂きました。毎年あります受験生の方々、就職・転職、あるいは結婚。そう言う事を祈り求めている1人1人に主からの答が与えられる様に、そんな事も祈らせて頂きました。また主の為に何かをしたい。何をしたらいいんでしょうか。真剣にその為に取り組んでいる方々に、まあ直接天使に入ろうか、あるいは何か自分に与えられている賜物を用いて、ミニストリーの働きをして行こうか。様々な語りかけ、迫りを受けている人々があると思いますが、そう言う方々が確かな主からの答を頂いて、これを取れ、これを歩めと言う声を聞いて、決断して、前進出来る様に祈らせて頂きました。

また、導かれて信仰決心には行っていない。あるいは又救われたけれども、洗礼に至っていない方々、そう言う方々にとって、もう1歩踏み出せる年に成れる様に、そして、天国市民になれる事が、どんな素晴らしい事か、天国市民の1人になれる。これはこの地上で与えられた最高の特権、恵みである、そう思いますね。でも、それは私たちが、主を信じて主の民となって、その素晴らしさに目が開かれてまいります。私たちはその目で見た時に、地上の生涯、生活もその事によって祝福されるものであると言う事も見えてまいります。

ですから、新しく本当の主の民に加えられる人達が起こされる様にと祈らせて頂きました。昨年は25名の方々が洗礼を受けられました。本当に感謝であります。その方々が更に祝福の前進をする事が出来る様に、そして、それぞれの家族の方々に救い業がなされる様に、その事も祈らせて頂きました。そして、新しい年に与えられた今のこ言葉を黙想しておりました。この言葉を通して何を主が語って下さるだろうかと、静まっていました時に、ふっと私の脳裏に浮かんできた光景がありました。

突然、私の脳裏に「ベン・ハー」の映画、あの映画が甦って来たと言うのでしょうかね。あのベン・ハーは、御覧になった方は、記憶に残っているかも知れません。あのスタートが何とも言えなかったですね。暗闇の光景が映っています。やがて星の瞬きがありました。そして、そこから一条の光が地上に下げられてまいりました。それは地上のある所を照らしました。それはユダヤの国ベツレヘムでした。そして、その光に焦点が合わされました。家畜小屋の飼い葉桶であります。救い主イエスキリストの誕生でありました。

その光景が私の中に浮かんでまいりました。そして、私の中に差し込んだ光は、この街、本郷台キリスト教会がある町に、その光が映ったといいましょうか、そこにも照らされると言う、何かそう言う期待とそう言う思いが、私の心を支配して行きました。神様はイスラエルの国の小さな村、寒村、ベツレヘムに目を留めて、そこに光を照らして下さいました。貧しい貧しい家畜小屋に光を照らして下さいました。その光はイスラエルから遠い遠い東の果て、日本、その日本の1地方に過ぎないこの町に、そして、本郷台にある、主の教会の上に主は光を照らして下さる。

この街は世界の国々の間で、私に取って喜びの名となり、栄誉となり、栄となる。主はそう仰せられた。ですから、この街を主は照らして下さる。そして、そこにある主の群。この本郷台の群を主は愛でて下さる、豊に祝福して下さる、顧みて下さる。そして、主はそこに主の御思いをなそうとしておられるに違いない。そう思わせられた事でありました。そして、それは何故、主はそれなんだろうか。何故この町、この本郷台にある主の群れであるのであろうか、そう思った時に、更に進んで私の心の中にはミッション3000のビジョン、それが私の中に更に鮮明に甦ってまいりました。

1995年からこのビジョンは与えられ、そして、取り組んでまいりまして、今年はその9年目に入いっております。このビジョンが与えられて教会は、そして、1人1人は、皆さんもそれそれが、その為にどれだけ祈って来られたでしょうか。莫とした、大きなビジョンであっただけに、それが何を意味していて、教会がそれにどう取り組んだらいいのか、何をする事が、そのミッション3000なのか、その中で1人1人が何をするのか。私たちはどう取り組んだらいいのだろうか。いろんな思いで主の前に祈ったと思います。

そして、その祈りこそ、その訴えこそ、その叫びこそ、主の光となって、主の答となって、そこに主から届いたんだなと、そう思いました。主はあまねく全世界を見わたして、おのれに向かいて心全うする者に力を表すと、第2歴代の16:9にあります。神様は全世界を見ておられて、何処にご自身を、何処に光を、何処にご自身の力を表しますか。それはおのれに向かって、主に向かって力を表す、身辺に取り組む者、祈る者、訴える者に主はそこに目を留めて下さる。

約束の様に主は、ミッション3000と言うビジョンの中で、この町を照らそうとしていてくださる。その様な事を思わせられた事でありました。そして、更に私の中にみ言葉が響いてまいりました。そのみ言葉に目を留めたいと思います。それはマタイの福音書の9章であります。新約聖書の15ページであります。そこの35節です。

「それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。」とあります。このみ言葉です。このみ言葉が鮮明に私の心に留まりました。そこから神様のみ業の順序、秩序といったものを思わせられました。先ず最初の所にこうあります。「それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え」とあります。これは言うまでもない事でありますけれども、教会の働きと言うのは、それは会堂中心と言いましょうか、当然教会において礼拝が、先ずそこでしっかりと守られて、祈祷会そこで守られて、あるいはそこで主による交わりがなされて、様々な集会、様々な働きがなされる。これが何よりも第1。そして、それは言うならば、あの4つの愛の“仕える愛”と言う事であります。

先ず教会は主に仕える、礼拝そして祈り会、そして、交わり、働きと言う、この会堂で教えと言うこの中心が、そこにあるんだと言うことを、改めて心に刻まれた事でありました。そして、また二番目は、その先に、「御国の福音を宣べ伝え」とあります。それは宣教の働き、本郷台キリスト教会が目指している宣教は「駆けめぐる愛」と言う事でもって、世界に宣教師を送りだす、50人を送り出そうと言うビジョンであります。でも、その50人と言うのは、家族を含めた50人と言う事であります。で数えて見ますと、近藤先生の家族は4人、木島先生の所は6人、そして、難波先生の所は1人、合計11人が既に繰り出されている。そして、更に主は続いて宣教師となる器を起こして下さる、と信じております。誰がそこに立てられるのか、これからも祈って行きたいと思います。

そして、宣教は、海外とまた国内の宣教、海外宣教部は改めて、宣教部となって、海外も国内も含めて宣教を進めるようになった。とてもこれは素晴らしいなぁと思いますけれど。昨年の暮れには五万枚のトラクトを、新聞折り込みで、配りました。これも大事な宣教の働きの一環、それが用いられて、様々な祝福がもたらされている。そう信じるんですね。

この元旦礼拝に1人の人が来られました。それはトラクトを見て来られた。わりと近くに住んでおられたお方だったんですけれども、自分の住んでいる近くにこう言う教会あるとは知りませんでした。と言っておられた。でも、ここに何時頃から住んでいますか、と聞いたら、13年前から住んでおります。毎年これを入れているんですけど、ああ、そうだったんですか。でも、私はあまり広告を見ないので、新聞が入って、何時も広告類を出してしまうんですよね。でも、何故か今回は眼に留まりました。と言う事でした。目に留まった、ああ祈りの答だなぁと思いました。そして、姉妹は柔らかな心、渇いた心でした。

導きをさせて頂いたら、直ぐに主を受け入れると信じて本当に帰られたのですね。素晴らしいですね。今年の最初の日に、この様にして素晴らしい恵みを主が見せて下さった。たった1人、でもそれは万人の救いの1つの大事な初穂である。そう思うんですね。ですから、神様は働きを大切にしておられる、と言うことを教えて下さっている。1人の人が主に導かれる。それは主がこの町をどんなに顧みていて下さるか、人々を、多くの人々をどんなに愛していて下さるかを知る、大切な初穂であり、主の御思いである、と言う事を思わせられた事でありました。励ましですね。ジョイフル・クリスマスには、目標の350名を超えて355名が導かれて来られました。これも素晴らしい事です。この様にして主は答えて下さっている。働きには、実がともない、祈りは必ず結果を生み出して行き、祈りは事を変えていく。

主の御手の業は確かである。その様な事を本当に思わせられるんですね。そして、更にその先を見ますと、「あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された」とこうあります。イエス様はもとより福音を伝える事が第1の使命でありますけれども、でもそれは、全てではなくして、「あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。」と言う事であります。これは仕える姿ですね。形を変えて言えば、それは人々のニーズに答えて行くと言う事ですね。もっと社会のニーズに答えて、社会の中において、社会に仕えて行くと言う姿勢である。イエス様はここで、「あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。」とあるんですよね。彼らに直した後、「信じなさい」と言ったとは書いてない。

信じる事を条件に、あなたの病気を直しましょう、とは言っておられないのです。ただ病気を直された。彼らの必要に答えている。仕える姿勢はそこにある。教会が地域に仕えると言う事はそれである。何が大切なのか、そこでは愛、仕える愛が大切、与える愛が大切、受けた恵みを主にお返しをし、人々にお返しし、それを与えて行く事だ、と言う事であります。教会のもう1つの大事な使命がそこにある。そして、町と言う時に99%、日本では主を知らない人々であって、殆どの人達がその中で、教会がどのように関わってくれるのか、どの様に近づいて来るのか、何をしようとしているのか。教会は何をしてるのか分からない。

何か塀に囲まれた一団の集まりに過ぎない。と言うふうに一般の人達はそう見ている。それがそうではない、とするのは私たちの声ではない。私たちのトラクト配布ではない。それは壁を取っ払って出て行く事であり、人々のニーズに答えて行く事です。先程は大切な1枚としてトラクトがどんなに素晴らしいかを語りました。でも、同時にトラクトが全てではない。語る事が全てではない。それは事の半面でしかない。私たちは仕える事です。与える事です。ニーズに答えて行く事です。そして、弱い人には弱い人となり、その弱さに身を置いて、その弱さを少しでも、自分の弱さとして受け止めて行けるその時に、その人の弱さの中から心が変えられて行きます。弱さの中に愛が伝わってまいります。愛は人の心を溶かして行きます。愛は人の心を動かして行きます。愛は人の心を変えて行きます。

教会はその様にして様々なニーズに答えて行く。既に給食ミニストリーの働きがあって、その様な良い働きがなされています。福祉ミニストリーがあって良い働きがなされています。シオン・カウンセリングがあって良い働きがそこになされています。そして、「のあ」が立ち上がりました。そして、今NPOスクール「エスペランサ」が立ち上がろうとしています。何と地球の反対側から器を主は送って下さいました。ここに光を当てて、そして必要な器を主は送って下さった。そして、また作業所を立ち上げようとしています。心の痛む事が一杯あります。人々は痛んでいるんです。傷ついている。そして、私たちの届き得ない所、ある人々は自らの命を絶ち、自らの生ききることを断ち切っている。生きる希望を全く見い出せない中に、闇に埋もれている。

そう言う人々がよく目を開いて見た時に、回りに居るんですね。隣に居るんです。でも、しばしば私たちは素通りをしていて、そして、私たちは神に仕えている、と言ってしまっている所はないだろうか。大切です。伝道は大切。でも、同時に仕える事が大切。仕えてこそ人の心はラポールがかかって行き、人々の心に福音が伝えられ、受け入れられて行く。この年、主は、この町と言って下さっている。あなたの教会を通して、町全体に光を当てようとしていて下さる。闇の中にある人々が光の中に立ち帰るためにです。あなたはその為に何をし、教会は何をし、そしてミニストリーは何をし、あなたの与えられている賜物と使命とをどの様に用いるでしょうか。それを主に期待されている。そこに応答していきたい。そして、主を崇めて行きたいのであります。


お祈りを致します。
愛する天のお父さま。
この様にして今日あなたが新しい1年の最初の大事な礼拝において、ご自身の御旨を主が示して下さって感謝します。
どうぞ、お1人お1人に主が届いて下さいますように、お1人お1人に主がお語り下さいますようにお願い致します。
主に信頼致します。
尊いイエスキリストの御名によってお祈り致します。
アーメン