2003年6月8日 主日礼拝 
使徒の働き2章1〜12節

「これはどうしたことか」

池田 博師 宣教メッセージ

ようこそお越し下さいました。今日は教会にとってとても大事な「ペンテコステ」という記念の日なんですね。少し変てこな名前でありますけれども,「ペンテコステ」というのは,ギリシャ語なんですね。ギリシャ語で「50」と云う意味があります。何故,50かと云いますと,イエス様が復活してから50日目にですね,聖霊が下って来たと云うことなんです。それを記念して「50日祭」と云う意味で「ペンテコステ」と呼んでおります。

今日は素晴らしい聖歌隊の賛美もありました。これから,また皆さんひとり,ひとりに神様,豊かに祝福が注がれますようにと心から願っております。それでは,お祈りを先ずさせて戴きたいと思います。

神は実にそのひとり子をお与えになった程に,世を愛された。それは,御子を信じる者がひとりとして滅びる事なく,永遠の命を持つためである。
愛する天のお父様,感謝いたします。素晴らしい貴方の約束を感謝いたします。

親が罪深い罪人のためにご自身の掛け替えの無いひとり子を犠牲にする。これは人間にとってあり得ない事であります。出来得ない事であります。でも,神様,あなたはそれをあえてして下さいました。私たちが滅びないため,私たちが罪から救われるため,更には永遠の命,私たち人類にとって誰もが望んでいる永遠の命をあなたはひとり,ひとりに与えるために,この素晴らしいことをして下さいました,イエス・キリストを此の地上にお出で下さっただけで無くして,人々の痛みを知って下さり,悩みを聞いて下さり,更には,十字架にその身,その命を与えて下さいました。私たちの罪を御自分の身に負うためでありました。

そのような事をして私たちのために,救いの道を開いて下さいました。それはただ一つ,神が人類を,神が私たちを,神が私を愛する故であったとあります。主よ。感謝します。その愛が,今日,どうぞ,自分のもの,自分にとって本当に必要なものとして受け止めることが出来るように,どうか,おひとり,おひとりの上に臨んで下さい。

今,また,特に病んでいる方々,傷を負っている方々,助けを必要としている方々,多くおります。今,心の中で其れを願って方々の其の祈りに,あなたは御目を留めて下さいますように,教会の中でも,病める方々が多くありますが,どうぞ,おひとり,おひとりの上にあたが臨んで下さい。

また,主よ,どうぞ,日本中の全ての教会,世界の全て教会を顧み,また,世界に平和がもたらされますようにお願いをいたします。

おひとり,おひとりの心の祈りに併せまして,私たちの救い主,イエス・キリストの尊いお名前によってお祈りをいたします。
アーメン


其れでは,聖書をお読みしたいと思います。今日のペンテコステの出来事を記した処,新訳聖書の209ページになります,使徒の働きの2章であります。そこをお開き下さい。2章の1節から12節までお読みいたします。

使徒の働き
2:1 五旬節(ごじゅんせつ)の日になって,皆が一つ所に集まっていた。
2:2 すると突然,天から,激しい風が吹いて来るような響きが起こり,彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また,炎のような分かれた舌が現れて,ひとり,ひとりの上にとどまった
2:4 すると,みなが聖霊に満たされ,御霊が話させて下さるとおりに,他国のことばで話しだした。
2:5 さて,エルサレムには,敬虔なユダヤ人たちが,天下のあらゆる国から来て住んでいたが,
2:6 この物音が起こると,大勢の人々が集まって来た。彼らは,それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて,驚きあきれてしまった。
2:7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは,みなガリラヤの人ではありませんか。
2:8 それなのに,私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは,いったいどうしたことでしょう。
2:9 私たちは,パルテヤ人,メジヤ人,エラム人,またメソポタミヤ,ユダヤ,カバトキヤ,ポンドとアジヤ,
2:10 フルギヤとパンフリヤ, エジブトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち,また滞在中のローマ人たちで,
2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのにあの人たちが,私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
2:12 人々はみな,驚き惑って, 互いに「いったいこれはどうしたことか。」と言った。

はい,聖書は以上でありますが,ええ,「いったいこれはどうしたことか。」と言うですね.驚きの出来事がここに起こっているわけでありますが,まあ,それがペンテコステと云う出来事であったわけでありますが,今日は此のところに目を留めて行きたいと思います。

ええ,ここに入る前にですね,一寸,「朝一番のビタミン」これを御紹介したいなとこう思うんですね。「エッ,ビタミンの宣伝ですか。」「そうなんですね。ハイ,ええ,朝一番のビタミン」ビタミンの名前は「世の光」です。赤ラベルにこう書いてあるんですね。「貴方の毎日,毎日を励まし,元気にする,効くビタミン,良い一日は,朝一番のラジオ,世の光から始まります。」

素敵ですね。先日,PBSの太平洋放送協会,クリスチャンの放送番組であるわけですが,そこから来られ,このチラシを置いて行ったのですね。読んで「オオ。素晴らしい。ヒット商品。」という感じでありましてですね,気に入り,紹介しました。

これも素晴らしいんですけれども,この裏側に,少し文章が書いてあって,これもまた,心に留まりました。

ただの虫

出典:http://pba-net.com/bible-bkup/msgsakaki11.html


応用昆虫学者の梅谷献二さんによると、人の側の都合による一方的な仕分けによると、昆虫には、害虫と益虫とそのどちらでもないただの虫がいることになるそうです。現在、昆虫の種類は、全動物の六割以上にあたる180万種が記録され、さらにその何倍もの未知の種類があると推定されています。虫の嫌いな人には、100パーセントが害虫になるわけですが、常識的には、その99パーセントが「ただの虫」だそうです。

新聞のコラムに、静岡県のあるお母さんとその息子さんの会話が載っていました。
「お母さん、尊敬する人ってなあに?」
「そうねぇ、大きくなったらあんな人になりたい、と思うような人かな」
その息子さんは、少し考えてからこう言ったそうです。
「お父さん、って書こう」
「へぇ、お父さん喜ぶね。またマンガ買ってくれるかもね」
するとその子はこう言いました。
「だってぼく、ふつうの人でいいんだもの」
何百万種ともあろう昆虫の99パーセントがただの虫だということですが、ある人がいいました。神様は、ふつうの人、ただの人を愛されています。なぜならば、この世にはふつうの人が多いからです、と。

私たちは確かに相対的な生き方をしています。あの人と比べ、お隣と比べ、あのお宅の子と比べ、というように。そこには焦りやいらだちがあり、嫉妬さえも起きかねません。良ければ自慢や誇りとなり、他者を見下すことも生じてきます。

ですが、彼は彼、隣は隣で神様に愛され、私は私で特別に神様に愛されているんだという確信が与えられれば、あなたがたとえただの人でも平々凡々とした人生ではなくなります。

 聖書の素晴らしい言葉を聞いてください。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです」(ヨハネの手紙第一・4章9節)

この神様の愛が私たち一人一人に公平に注がれていることに信仰の目が開かれるとき、他人と比べてどうこうという狭い世界から解放されて、豊かないのちに生きられるのです。

はい,何か爽やかな心に留まる一文であります。ええ,ここに,「普通の人」が出て来るのですが,この聖書を見てまりますと,どうも,神様は,イエス様はこの普通の人に,焦点を合わせていると言ったらいいでしょうか。それを大切にしておられるということを見るんです。

今日,世界中で名の知られた名前の一つに,この「ペテロ」と云う名前があります。まあ,一番,有名のなのは,ローマのバチカン宮殿にあります,聖ペテロ大聖堂があります。その前の広場はですね,サン・ピエトロ広場,つまり,聖ペテロ広場と言います。

行かれた方も多いかなと思うんですけれども。世界中の人達が集まる所でありますね。聖ペテロと言う名前は世界中に知られていて,ペテロと言う名前を付けた教会や,そう言う名称がいっぱいありますね。英語でピータ,ピータさんというのは,まあ,10人いれば必ずその中に一人いると言う感じであります。

それほどポピュラーである知られた名前であります。このペテロの相棒がヨハネであります。このペテロとヨハネに付いて,今,読んだ使徒の働きの2章の先の3章のところに目を留めて見ますと,こういうことが出てまいります。1節から10節までを,読んでみたいと思います。

使徒の働き
3:1 ペテロとヨハネは午後3時の祈りの時間に宮に上って行った。
3:2 すると,生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。この男は,宮にはいる人たちから施しを求めるために,毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。
3:3 彼は,ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て,施しを求めた。
3:4 ペテロは,ヨハネとともに,その男を見つめて,「私たちを見なさい。」と言った。
3:5 男は何かもらえると思って,ふたりに目を注いだ。
3:6 すると,ペテロは,「金銀は私にはない。しかし,私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって,歩きなさい。」と言って,
3:7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち,彼の足とくるぶしが強くなり,
3:8 おどり上がってまっすぐに立ち,歩き出した。そして歩いたり,はねたりながら,神を賛美しつつ,ふたりといっしょに宮に入って行った。
3:9 人々はみな,彼が歩きながら,神を賛美しているのを見た。
3:10 そして,これが,施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると,この人の身に起こったことに驚き,あきれた。

と,言う出来事でありますね。で,このことはですね,更に,こう,発展して行きですね,まあ,もう,生まれながらに足の利かない人がですね,急に歩き出した。本当にこの「奇跡」であったわけでありますね。ですので,皆は注目をしました。で,この注目したときにペテロは彼らにですね,

「これは,私の力でしたんでは無くして,私が信じているイエス様の力が,彼を立たせたんですよ。とね,イエス・キリスト,この方こそ,あなた方にとっても救い主ですよ。」と大胆に語った時に,人々はそのですね,目の前にいる現象とですね,大胆に語る其の福音に聞いてですね,そして,イエス様を信じた。ね,4章の4節を見ますと,

使徒の働き
4:4 しかし,みことばを聞いた人々が大ぜい信じ,男の数が五千人ほどになった。

と,言うような大きな出来事になって行った訳であります。 それは,それとして素晴らしいんですが,また一方で,静かなエレサレムがですね,大騒ぎになって行き,ね,そして,何事だということになって指導者たち,宗教家たちはですね,まあ,その騒ぎの原因が何なのかを調べて行った時にですね,其処にペテロとヨハネがいたことでもって,その二人を捕まえて,そして,留置して翌日にですね,そうそうたる指導者たちを前に取り調べると言う事になった訳であります。

そうしますと,ペテロは其処でもまた力を得てですね,4章の10節以下,こういうふうにいうんですね。

使徒の働き
4:10 皆さんも,またイスラエルのすべての人々も,よく知って下さい。この人が直って,あなたがたの前に立っているのは,あなたがたが十字架につけ,神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。
4:11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が,礎の石となった。』というのはこの方のことです。
4:12 この方以外には, だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには,私たちが救われるべき名としては,どのような名も,人間には与えられていないからです。

と,こう,大胆に語った訳でありますね。でも,調べていた人達はですね,そのペテロとヨハネはですね,13節を見ますと

使徒の働き
4:13 かれらはペテロとヨハネとの大胆さを見,またですね,その彼らが無学な普通の人であるのを知って驚いたが,ふたりがイエスとともにいたのだ, ということがわかって来た。

ということでなんですね,此処にペテロとヨハネがですね。ええ,無学な普通の人だというふうにね,書かれています。口語訳では,「ただの人」 とあるんですね。私は何か其れの方を気に入っているんですが,「ただの人」ええ,まあ,ですね,こうして見ますとですね,あのう,一つ,気が付かされるんですね,イエス・キリストはやがて御自分が救い主となって,その名が世界中に知られですね,そして,世界中の人々の救いがそこにですね,成就するということを,もう,既に見通しておられたはずですね。

そのイエス様が,此の大事な働きを託すのに当たってですね,ええ,相当,其れなりに有能な人達を選んで,その彼らに此れを託して行く,それが普通であろかなと思うのでありますけれども,でも,イエス・キリストが此の大事な,大事なものをですね,託するのに選んだのはですね,まあ,此処に書いてありますペテロとヨハの漁師ですね,ええ,ほかの漁師たちもそうです。或いは,取税人とか,熱心党員とか,色んな背景の人達,そして,まあ,いわゆる普通の人,ただの人,そういう人たちを,まあ,言わば寄せ集めて12人の弟子をイエス様はですね,其処でお育てになったと言うことでありますね。まあ,後にたった一人だけ,例外,パウロという人をね,選びなさいますけれども,でも,其の大部分は普通の人を,ですね,選びになさったということであります。

で,聖書にはですね。其の中でも,特に此のペテロの事が取り上げられておりますので,今日は其処をもう少しですね。ご一緒に見て行きたいなというふうに思います。そして,ひとりペテロに焦点を合わせて,聖書が書いているということは,即ち,また,あなた方ひとり,ひとりもですね。ペテロのような,例え,普通の人であったとしても,でも,其処にも神は目を留めて下さいますよ。神の目はあなたに注がれているんですよ。ということをですね。ええ,教えようとしている事を心に留めながら見て行きたいと思います。 ええ,このペテロという人はですね,先ず,こう,ですね,全体的にいうならばですね,目立ちがり屋ですね,これは,ええ,とても目立ちがり屋,ええ,必ず,ね,10人集まれば何人かいますね。 そういう人がですね。 私も其のひとりかも知れませんけれども,直ぐに,この口を出す。ですね。何かありますと「ハイ」とこう言ってですね,何か言うんですね。で,ええ,以外に的外れの事をいったりしている。そして,また,ええ,出来もしないのに,見栄を張る人ですね。ええ,そんな所も,まあ,私たちですね,持ち合わせる処かなというふうに思いますが。

まあ,そんなペテロですね。そのペテロの,この象徴的な事と言いましょうか,ですね,一番,それを裏付けるですね,出来事がですね,イエス様の十字架を前にして起こっておりますので,其処に先ず,こう,目を留めてみたいなと思うんですが,まあ,お聞き下されば結構なんですが,まあ,開ける方はマルコの福音書の14章の27節ですね。89ページにもなりますけれども,

マルコの福音書
14:27 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな,つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると,すると,羊は散り散りになる。』と書いてありますから。
14:28 しかしわたしは,よみがえってから, あなたがたより先に,ガリラヤへ行きます。」
14:29 すると,ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても,私はつまずきません。」こう言いますね。
14:30 イエスは彼に言われた。「まことに,あなたに告げます。あなたは,きょう,今夜,鶏が二度鳴く前に,わたしを知らないと三度言います。 」
14:31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとい,ごいっしょに死ななければならないとしても,私は,あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。

と,こうですね。ええ,大見得をね,切って言っている訳であります。ええ,其処まで言い切ったペテロでありますけれども,でも,この先,同じ14章のね,ええ,先の方を見てまいりますとね, 其処には,思いがけないキリストが捕らえられて,そして,死刑の判決が出て,で,刑場に引かれて行くと言うような,そんな場面に出くわして行くと言う事ではあるのでありますけれども,その,ですね,この経過を見て行く,プロセスを見て行く中で,こう言う展開になって行きます。

マルコの福音書
14:66 ペテロが下の庭にいると,大祭司の女中のひとりが来て,
14:67 ペテロが火にあたっているのを見かけ,彼をじっと見つめて,言った。「あなたも,あのナザレ人,あのイエスといっしょにいましたね。」
14:68 しかし,ペテロはそれを打ち消して,「何を言っているのか,解らない。見当もつかない。」と言って,出口のほうへと出て行った。
14:69 する女中は,ペテロを見て,そばに立っていた人たちに,また,「この人はあの仲間です。」と言いだした
14:70 しかし, ペテロは再び打ち消した。しばらくすると,そばに立っていたその人たちが,またペテロに言った。「確かに,あなたはあの仲間だ。ガラリア人なのだから。」
14:71 しかし, 彼はのろいをかけて誓い始め,「私は,あなたがたの話しているその人を知りません。」と言った。
14:72 すると,すぐに,鶏が,二度目に鳴いた。そこでペテロは,「鶏が,二度鳴く前に,あなたは,わたしを知らないと三度言います。」 というイエスのおことばを思い出した。 それに思い当たったとき,彼は泣き出した。

とあるんですね。 ええ,こうしてペテロの,まあ,普通の人,ただの人,イヤァ,こうして見るとですね,何かと言ったら良いのでしょうか。何ですね。ええ,本当に半端者,だらしのないペテロですね。人間として本当に,ええ,まあ,箸にも棒にもかからない,そんな人間かなと思えるようなですね。大事な人に対して呪いをかけて知らないと言い切ってしまうようなね。其処まではと思うような事をあえてしてしまうペテロです。まあ,言えば,普通の人の象徴的な姿かなと言うふうにもいるかも知れませんですね。

其のペテロに対して,実は,此の事が起こる結構前に,こう言う出来事が起こっております。其処にもちよっと目を留めたいんですが。ええ,今度はマタイの福音書の16章の15節以下な思いますけれどもね。私たちの,或いは,心を姿を写し出して んですが, 30ページを主としてですね。そこにこう言う事が出ております。

マタイの福音書
16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは,わたしをだれだと言いますか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは,生ける神の御子キリストです。」
16:17 するとイエスは,彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく,天にいますわたしの父です。
16:18 ではわたしもあなたに言います。 あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたし教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。

まあ,これ,ペテロはですね。ええ,人々はわたしのことを誰と言うか。そして,あなたがたは誰と言うか。誰と思ってるか。どう告白するか。とこうね,言った時に,「あなたは生ける神の御子キリストです。」と言うですね。まあ,本当に,此れは素晴らしいですね,答えを出す訳でありますね。ええ,ペテロの100点の答えと言ったら良いか。素晴らしい答えを出した訳でありますけれども,そのたった一つの素晴らしい答えをですが,するとイエス様はおっしゃるんですね。

「あなたがそう言えたのは,あなたの内に主の霊が注がれたからであり,そして,更にわたしは,あなたに言います。あなたはこれまでシモンであったけれども,もはや,シモンではなくして,あなたはペテロです。」ここでいうペテロと言うのは「岩」と言う意味があるんですね。岩,ねっ,岩,盤石(ばんじゃく)の岩ですね。 土台として揺るぎないもの,それが「岩」です。 ペテロに対して,敢えて,イエス様はここで「あなたは『岩』だ。」 と言っているんですね

しかし,この後のあの先の事をですね,見れば,彼はおおよそ岩とは程遠い,水に浮く軽石のような彼の告白でしかない訳ですよね。並以下な軽石でしかない。そんなペテロに対して,イエス様は前もって,「でも,わたしはあなたをペテロと言えるような,そういう人間にわたしはあなたを変えよう。」と言って下さっている。そうです,イエス様という方は,普通の人,並以下の人,どんな人であっても,でも,わたしはあなたを変えて,ペテロ,あなたを盤石な岩とも言えるような人間に造り変えるのです。それは,やがて下って来る聖霊があなたを変えるんです。聖霊があなたを造り変えるんです。イエス様はそう約束して下さったのであります。

そして,その聖霊が下って来た出来事,それが最初に読みました,ね,使徒の働き2章である訳でありますけれども,もう一度,其処に目を留めて見たいと思います。2章の1節,

使徒の働き
2:1 五旬節(ごじゅんせつ)の日になって,皆が一つ所に集まっていた。
2:2 すると突然,天から,激しい風が吹いて来るような響きが起こり,彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また,炎のような分かれた舌が現れて,ひとり,ひとりの上にとどまった
2:4 すると,みなが聖霊に満たされ,御霊が話させて下さるとおりに,他国のことばで話しだした。

という, こういう展開でありますね。 まあ, 「天から激しい風が吹いて来るような響き,そして,炎のような分かれた舌が現れて,ひとりひとりの上にとどまった。」 というですね。まあ,ええ,少し,こうですね,想像してみますと,何か,異様な光景に写るような,そんな現象でありますね。でも,そのような具体的にですね。ビジュアルに見えるような形で事が起こることを通して,敢えて,神様が人の心に届くという時に,それはあなた方の心がしっかりと,その霊に捕らえられるために,そして,新しくされて,敢えて,このような見える形で,その最初の出来事としてのこのペンテコステ,聖霊降臨が起こったということであります。

 そして,それまでの弟子たちは,あの最後のペテロのですね,ええ,裏切りの言葉やですね,そして,また,イエス様が居なくなった,昇天された後はですね。ええ,ヨハネの福音書を見ますとですね。ええ,主の日の夕方,弟子たちがいた所では,ユダヤ人を恐れて戸を閉めてあったと,こうあってですね。彼らはキリストを捕らえて殺して行った,その手がやがて,また,自分たちにも伸びて来るだろうと,思った時に,恐れて戸を閉じて,ね,そして,彼らは閉じこもっていたという,そんな状態だったのですね。まあ。其の普通の弟子たちの姿ですね。弱い姿が如実に現れている処でありますが,でも,そんな彼らに聖霊が下って来た時に,彼らは力付けら行きました。彼らは聖霊を戴いたのですね。その時にですね。ペテロは大胆に立ち上がって行くのですね。

そして,先程のあの3章のようなですね,ええ,およそかつてのペテロでないペテロが其処にね,立っています。「ナザレのイエス・キリストの名によって,立って歩きなさい。」と,そう言った時に彼を通して,ね,力が現されて行きます。更に,人々の前に,大胆に,「あなた方が十字架に付けたあのキリスト,キリストは確かに死んで行ったけれども,でも,それは,実は,神の定めた計画と,神の予知とによって果たされたことであったのです。」というふうにですね,彼らはですね,何時,何処でそんな事が解ったんだろうか。ね,ええ,弟子たちの目の前で殺されて行く姿を見た時に,何という悲惨な,惨めな姿だろうか。あの師が,あの先生が,こんな事になってと思っていた。

でも,実は,その事は神の計画の中にあって,予知と予定の中に定めれれていた事であって,その事を通して人類の,あなた方の,私たちの罪が全部,此のキリストの身の上に,身代わりとなってかけられて,そして死んだ事は,罪が其処に贖われる。罪からに救いの道がそこに成就したのです。

そして,この主を信じる者の内に聖霊が注いで,罪許されて,更には永遠の命の約束が与えられて,こうして信じる者を救い,信じる者に永遠の希望,命が与えられて行くのだと大胆に語って行ったのでありました。その事を聞いた人々はですね,「兄弟たちよ。私たちはどうしたら良いんでしょうか。」と,そう聞いて行く。するとペテロは彼らに「悔い改めなさい。そして,それぞれ罪を許して戴くために,イエス・キリストの名によってバブテスマを受けなさい。そうすれば,聖霊を受けてあなた方は新しくなるのです。」とそう言うのですね。聖霊を受けた時に,何時しかペテロはこのように大胆にイエス・キリストを証しする者に変えられて行ったのですね。

教えではない。理屈ではない。そうでは無くして本当に悔い改めて,自分がどんなに無学なただ人であるかを深く知って,悔い改めて主の前に出た時に,主は,そのペテロを,ね,造り変えて下さったのですね。聖霊はあなたを造り変えて下さるんです。主の前にあなたのその弱さがあるでしょうか。問題があるでしょうか。あなた自身にとって,あなたが自らを御する事が出来ない本当に弱さの中にある。それを素直に認めて,こんな私です。普通のただ人に過ぎない私です。こんな私が救われるでしょうか。こんな私を受け入れて下さるんでしょうか。主よ。

そのように主の前に出る時に,主はペテロを造り変えて下さったように,あなたを造り変えてくださる。あなたを新しくしてくださる。闇から光り,死から命へ,永遠の命への希望へとあなたを導いてくださる。今日も此の処に,この主は手を延べて下さいます。真実,従う者になりなさい。主は私たちに今日も声を掛けて下さっております。


お祈りを致します。

天のお父様。
今日また,このようにしてあなたが,このところに,この記念すべきペンテコステの日,無学なただ人でしかなかった,普通の人でしかなかったペテロ,ヨハネ,弟子たちに,あなたは目を留めて下さり,彼らは新しくされ,つくり変えられて行きました。

彼らの人生が開かれました。
彼らの問題や,悩みが解決されて行きました。
主に委ねる人生がそこに開かれて行きました。
主よ,感謝します。

今日,此の処で,今,あなたによって造り変えられる必要のある人がいるでしょうか。
それを求めて来ている人が居るでしょうか。
その細い声を,その心に聞いている方が居るでしょうか。
どうぞ,主よ,その心を開いて下さい。
その心に語りかけて下さい。

そして,どうぞ,「わたしである。惧れることは無い」と,御声をもって導いて下さいますように,
新しくして下さいますようにお願いを致します。

尊い救い主,イエス・キリストの御名前によってお祈りを致します。

アーメン