2003年7月20日 主日礼拝式
“ピリピ人への手紙” 3章12〜14節

「“ただ、恵みによって”」

“近藤泉牧師” 宣教メッセージ

皆さん、おはようございます。今回家族ともにいま日本におりますけれども、ほんとに今回の帰国に際しましては、長男の病気、そして手術のために力強くお祈り下さいまして、本当に感謝申しあげます。今日このようにして、懐かしい皆様、また初めての皆様と礼拝を捧げることができますことを、心より感謝いたします。

これから私たちが、3期、そして過去13年間、ニューヨークで邦人宣教の業に携わらせていただきましたけれども、その間に本当に主の恵みによって支えられてきたことを、皆さんと分かち合いたいと思います。

今朝のメッセージのみ言葉をお読み致します。今朝は ピリピ人への手紙3章12節から14節 です。新約聖書の354ページになります。

“ピリピ”
3:12 私はすでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕らえようとして追求しているのです。
そしてそれを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
3:13 兄弟たちよ。
私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。
ただ、この一事に励んでいます。
すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。

今日のテキストの中に、栄光というゴールに向かってひたむきに走っている伝道者パウロの姿が見えてきます。福音のために頑張っていると同時に、イエスが私を捕らえてくださったという表現の中に、神様の恵みによって支えられて走っているランナーの姿、すなわちパウロの姿が見えてきます。恵みによって支えられているパウロの姿は、第1コリント15章10節を読むとより明確に伝わってきます。

“コリントT”
15:10 私はほかの全ての人たちよりも多く働きました。
しかしそれは私ではなく、私にある神の恵みです。

皆様ご存知のように、短期間の間に地中海沿岸に多くの教会を立て上げたパウロ、そんな偉業を成し遂げたパウロが、「私がここまで来れたのは、今あるはただ神の恵み。」と告白しておられます。その謙遜さに頭が下がります。私は、ニューヨークの近郊に一つの教会を立て上げさせていただきました。しかし、これもまた、ただ神の一方的な恵みによることを実感しております。

私たちは今からおよそ20年前、まだ新婚時代でしたけれども、スイスの神学校で学んでいました。卒業後の進路を祈り求める、そうした中で、在外・海外に住んでいる邦人宣教のビジョンが与えられました。

でもどこに行ったらいいんでしょうか?もう既に当時、日本人は世界中に散らばって住んでいました。そんな中で、身近なところでヨーロッパのフランス語圏に留まって、そこでそこに住む日本人のために働きたい、という志が与えられました。

しかし、どこにも道は開かれませんでした。卒業の日も近づき、これからどうしたらいいんだろうか、と思い悩んでいた時、「百万人の福音」に書かれていた非常に短い記事が目に留まりました。ここにはこう書かれてあったんです。「海外宣教に興味のある方、お便り下さい。」それだけだったんです。そしてそこの後に但し書きがあって、「リーベンゼラ・ミッションUSA 中山妙子」と書かれてありました。私たちはこの記事をきっかけにして、リーベンゼラ・ミッション・オブ・アメリカとの文通が始まりました。

そしてその文通を深めていく中で、この宣教団体が聖書信仰に立つ福音的な宣教団体であること、そして当時バブルの絶頂の中で、ニューヨーク周辺に駐在員の人口が急増していること、そうした中でほとんど日本人教会がないこと等を知らされました。邦人宣教の必要のために、そして、「教会建設の必要のために、私たちが立ち上がらなければならない。」という神様からの強い思いが与えられました。そして、このミッションと共に働く決意をし、そして帰国して参りました。

パウロは地中海沿岸で素晴らしい働きをしましたけれども、パウロはアンテオケという教会によって派遣され、支えられてその働きをなすことができました。私たちもまた、背後で祈り、サポートしてくれる方が必要でした。そんな中で、祈っている中で、主はほんとに不思議な道を整えてくださって、私たちをこの本郷台キリスト教会に導いてくださいました。

私たちは1988年にこの本郷台キリスト教会に導かれて、2年間協力牧師として仕えさせていただきました。その期間、同時に宣教師として出て行く準備をさせていただきました。そして、いよいよ1990年5月に派遣されました。

本郷台教会なしにニューヨーク邦人宣教は開始できなかったこと、そしてこの宣教の実現のために神様が私たちをここに導き、また本郷台キリスト教会を備えてくださったことを、本当に主にあって感謝しております。

1990年に私たちは遣わされて行ったんですけれども、その前年に私は初めてアメリカに渡りました。そしてワシントン、アトランタ、ワシントン、そしてニューヨークと、要するに視察旅行に出かけたんですけれども、ある日ニュージャージーにレーベンゼラ・ミッション・オブ・アメリカの本部があるんですが、そこを歩いていた時に、アメリカはほんとにどこまでも平原が続いていて、広いそのなかに、ポツンと立って、すごく孤独感と無力感に襲われました。

そして、私の中に3つのことが引っかかってきたんです。1つは、この広いアメリカを走るために、車の免許がありません。そして2つ目に、英語が殆ど話せません。受験英語で鍛えられただけです。そして3つ目に、海外邦人宣教どころか、日本でも開拓伝道をしたことがありません。

急にその現実に気付かされて、自分で「お前何考えているんだ?やめたほうがいいじゃないか?」と本当に止めた方がいいと決心したんですね。そして落ち込んでふて寝してしまいました。私、疲れると、ふて寝するんです。

そして次の日の朝、「目を上げなさい。」という神様の声が聞こえてきたんです。で、「『その目を上げなさい』という聖書の個所がどこだったんだろうか?」と思い巡らしていると、創世記の13章が思い浮かんできました。お読みします。

“創世記”
    
3:14 ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。
「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
3:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
3:16 私はあなたの子孫を地の塵のようにならせる。
もし人が地の塵を数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。
3:17 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。
わたしがあなたに、その地を与えるのだから。

この箇所を読んだ時に、神様が私をニューヨークの地に導いておられること、そして私の働きを通して、霊的な多くの子孫、信仰による子孫を与えてくださる、という確信が与えられました。そして、私は確信を持って、その地を本当に縦と横に歩き回る視察旅行を終わることができました。

そのように励まされて戻ってきて、そしてデピュテーションに励んで、そして1990年の5月にいよいよ渡米することができました。会堂は既にニューヨークのマンハッタン、ニューヨークシティから北に4〜50分上がったところに、ウエストチェスターという日本人が多く住んでいる地域があるんですけれども、その中部にあるチャパクワというところに既に会堂が備えられていました。

でもどうやって宣教を開始するのでしょうか?先ほど申しあげたように、開拓伝道の体験はなかったんです。同労者はいない、集うクリスチャンもいない、求道者もいない、何もないところからの開拓伝道でした。

当時我が家の子供たちは、長男の智が5才、次男の翼が2才でした。出会う日本人の家族が、皆私たちと同じような幼い子供を持った、駐在員ファミリーでした。そうした中で、私たちはまず児童伝道から始めようという思いが与えられました。

でも、恐ろしいことに「私たちは教会学校の教師をしたことがない。それどころか教会学校の生徒をしたこともない。そんな私たちに何ができるのでしょうか?でもこれしかない。」と信じて開始しました。毎週水曜日の午後3時、初めから15名の可愛い子供たちが集ってきました。とても大変でしたけれども、励まされて続けていくことができました。

その会が定着してきた頃、私たちの家を解放して、その児童伝道の会が「光の子会」という名前がつけられていたんですけれども、お母さんたちを集めて、そして我が家で家庭集会が開始されました。そしてしばらく経ってから、そのお母さん方のご主人たちを集めて、同じく我が家で男性の集会が、聖書研究会が始められました。

そのようにして、準備の期間を経て、翌年91年の4月に礼拝を開始することができました。チャパクワ福音キリスト教会の始まりです。約10名の方々と共に礼拝を開始することができました。その後新たに2ヶ所で家庭集会も始められ、そして受洗者も与えられて、「このまま成長していくかな?」という期待と祈りがありました。

でも残念ながら、新たな課題に取り組まなければならなくなりました。もう既にその当時、信徒たちが帰国していく、帰国に伴う流動の波がありました。そして残念なことに、礼拝出席者がどんどん減少していって、94年はなんと平均7名です。そして、周囲の日本人も減少していきました。そして一方、全日制の日本人学校はロングアイランドからグリニッジに移転してきて、グリニッジの方面に日本人がどんどん増えてきている、というニュースが伝わってきました。

そうした中で、「私たちはもっと日本人の多い地域に、そしてこのグリニッジの方面に移転していったほうがいいのではないか?」と真剣に考えて祈るようになりました。でも沢山のブレーキがかかっていました。まず、慣れたところから移動したくない、私たちはある程度慣れてしまうと動きたくないんですね。そういった人間の習性があります。そして、当時グリニッジ方面から集っていた人は一人もいませんでした。

ちょっと地図見せていただけますか?チャパクワからグリニッジまで大体車で30分の距離なんですけれども、私たちはこのグリニッジに移転しようとしたんですけれども、このグリニッジから集っている教会員もいなければ、求道者の方もいなければ、「チャパクワは遠いけれどグリニッジに移転しましたらぜひ集います。」という人も一人もいません。

でもご覧になられてわかりますけど、網の印になっているところは日本人の密集している地域なんですね。そこに行けば日本人が沢山いるんだということはわかっていました。でも、そこに移転すれば教会が栄えていく、という保証はなにもなかったんです。祈らされました。

そして最後にブレーキがかかっていたのは会堂の問題でした。当時、月曜日になると私は会堂を探しにグリニッジ方面に出かけて行きました。貸してくれそうな教会はないだろうか?

ある日、グリニッジの隣の町にある教会を探していました。地図を見て運転していたんですが、ところが道に迷ってしまいました。これはいつものシナリオなんですけど、どこにどう走っているのか全くわかりません。そして疲れ果てて車を止めたのですが、ふと右側を見たら素敵な教会が見えてきました。そして見たらルーテル教会だったんです。立派なルーテル教会でした。

そして今度は前方を見上げた時に、高速道路が見えてきました。「95」っていう幹線道路なんですね。そこで私の中に、「この教会はロケーションはすごい。」、そして心の中に、「この教会に導かれてるかもしれない。」という直感があったんです。そこですぐベルを押して、この会堂を貸していただけますかって聞けばよかったのに、小心者の私はできなくてそのまま帰ってしまいました。

でもしばらくたって、チャパクワにまだいたんですが、そこの教会の牧師先生に、「グリニッジに移転したいと思ってるんだけれど、知っている教会とか牧師先生とかいませんか?」というふうに尋ねました。すると、「ただ一人だけ知ってる牧師先生があるから、尋ねてみましょう。」と言うので、彼と一緒に出かけました。

そしてそのルーテル教会の先生に、「このグリニッジには日本人学校もあって、日本人がすごく増えてます。この土地で伝道したいと思いますから、会堂を貸してください。」とお願いしたんです。そしたらその先生が、「あなた方のために私たちの会堂を解放しましょう、お貸しします。」と言ってくださったんです。すばらしいお返事でした。

そしてその先生が私を建物の中に案内してくださって、そして建物の外、庭にも連れてってくれたんです。そして通りに面したところに出た時にびっくりしました。私が数ヶ月前に迷って辿りついた、まさにその教会だったんですね。

本当に神様はそんな不思議な方法を通して私たちをグリニッジに導いてくださいました。そのようにして確信が与えられて、1995年にチャパクワに集っていた約10名の方々と共にグリニッジに移転しました。

そして主は素晴らしいですね。最初の礼拝から20名の方が、2倍になったんですよ、20名の方が集われた、新たな方が加えられたんです。私たちの教会は、ニューヨーク州とコネチカット州の境目にある教会で、この2つの州から人々が集って来られました。家庭集会、聖書研究が各地で開かれました。ニューヘブンと言うエール大学のある町でも家庭集会が開かれて、そこから集う方々、受洗される方々も起こされました。

また、メンズバイブルスタディ、ビジネスマンをお迎えして、聖書研究も開かせていただきました。日本にいたら教会に踏み入れることもないであろうエリートサラリーマンたちが、私たちのこの集いに集われました。

アメリカにいるとキリスト教が基盤になっています。9.11の事件、イラクの事件、戦争、そうしたことを通して、アメリカという国が聖書を基盤として動いている、その中で「聖書を理解したい」というご主人方が集ってきました。「先生、信じる気はありませんけど聖書研究はしてもいいです。」そういう風に言ってくる方に限って、数ヶ月後に告白なさって、そして受洗していかれました。本当に主の恵みの業が現されていきました。

結局チャパクワの5年間で4名の受洗者が起こされ、グリニッジの8年間で30名の方が受洗され、合計34名の方々が受洗されていきました。グリニッジに移転した直後、97年ですけど、私たちは休暇を利用して、ニューヨークからアメリカのど真ん中、キャンザスシティ、3日間かかるんですけど、そこに出かけました。

それは家内がその地で留学中に信仰を得たからです。その家内の心のふるさとに出かけていったんですが、その帰り道、ペンシルバニアの高速道路を走っている時に、急に車のハンドルは制御がきかなくなって、もうどうしようもなくなって、その車が暴走し始めたんです。凄く恐かったですね。あっという間に高速道路をそれて、そしてその車が斜面を3回ぐらい横転して、そして反対側の車線に仰向けになって停まったんです。

もしその時車が来ていたら家族4人即死だったと思うんですけど、でもほんとにこう不思議にですね、高速道路に木も生えてなくて、柵もなくて、岩もなくて、ふかふかした草の上を転げ落ちていったんです。まさに私自身映画を見ているような、これがほんとに自分に起きているとは思えなかったですね。

でもそんな大変なところを神様は通らされましたけれども、私たちは軽い傷と軽いむちうちだけで無事助け出されたのです。本当に神様の恵みによって生かされてるっていうことを確認することができました。恐かったですけれども、ほんとに素晴らしい体験をさせていただきました。

このようにしてグリニッジでの宣教の働きを主は祝福してくださいました。受洗された方が起こされただけではなくて、日本で信仰を離れていた方々、教会につまづいていた方々が私たちの教会に来て、信仰を復活されました。そんな方たちが教会を愛して仕え、そしてグリニッジの教会の柱と変えていかれました。

小さな教会の中で、共に祈って仕える中で、成長していく方々が多く起こされていきました。仕事一徹だったビジネスマンの方々が、家族と神様を愛する人々に変えられていきました。このようにして神様は、過去13年の伝道の働きを豊かに祝福されました。道がどんどんと開かれていきました。

でも、私たちは過去13年間、この大きな祝福の背後に、大きな困難と共に歩んできました。それは人々の流動という問題です。駐在員主体という教会です。2年から5年で皆さん帰っていかれます。どんどん人々が移り変わっていきます。平均的には毎年3分の1の方が帰国されていく、3〜4年で教会員全体が移り変わっていく。信頼関係、教会っていうのは信頼関係で成り立っていると思うんですが、それがなくなって、また新たな方が信頼関係を築いていく。もう本当にこうエネルギーがすごく必要な働きです。

そういう時に私たちは、「私たちの働きは砂の上に立てた城みたいだ、一生懸命作っても波が来ると全部洗い流してしまう、そしてまたゼロから始める。」、その繰り返しでした。そういう中で、脱力感、失意と闘ってきました。過去13年間は、流動とそれにともなう失意との絶え間ない戦いでした。何度荷物をまとめて帰ろうと思ったか知れません。

でもそのたびに、主は私たちを立ち止まらせてくださいました。そのような大変な時にこそ、主は不思議と忠実な、また整えられたメンバーの方々を日本から送ってくださって、私たちの働きを支えてくださいました。本当に主の恵みによって支えられた13年間でした。

神様は天地創造をなされた時に、無からそのみ言葉によってこの天地万物を想像されました。私たちのグリニッジでの、ニューヨークでの宣教を振返ってみた時に、たった1行の記事、「海外宣教に興味のある方お便りください」、この1行の記事が目に見えるグリニッジ福音教会となりました。私たちが本郷台教会に導かれて、そしてチャパクワで開拓伝道が開始されて、そしてグリニッジに移転して、そして流動の波の中で支えられてきた、この一つ一つが無から有を生み出す主のみ業によることを確信いたします。

そしてこの恵みの業は、グリニッジだけでなく、この日本中に流れ出しています。グリニッジの教会のOBたち、およそ60名の方々を私たちは日本に送り出しましたけれども、その90%が日本の教会に、そしてその3分の1が自家の教会に集っておられます。そしてそれぞれがそれぞれの教会の枝としてしっかりと仕えておられます。このようにして神様の恵みの業は日本にも広がっております。

この小さき私たち、弱い私たちを通して、神様は多くの恵みの業を現してくださいました。この13年間走りぬくことができたのは、この神の恵みと、そして背後にあって日本から祈って支えてくださった皆さまの祈りによることを本当に感謝いたします。皆さんがいなかったら、このニューヨークでの働きを開始し、13年間走りぬくことはできなかったと思います。本当に心から感謝申しあげます。

私たちは神様の導きによって、この10月から調布市のつつじヶ丘という教会で奉仕をさせていただきます。日本の様子がわからない浦島太郎、花子と呼ばれてますから、そうした者が仕えてまいりますから、祈っていただきたいと思います。

また、長男の智はカリフォルニアの州立大学でこの秋から学んでまいります。そして次男の翼は、ドイツ学園ではなくて都立国際高校で、帰国子女を沢山受け入れてる学校なんですけれども、そこで学んでまいります。私たち家族一人一人が新たな道を歩み始めますので、祈って支えていただきたいと思います。

また私たちも折に触れて、この母教会である本郷台教会に戻ってまいりたいと思います。また3つ目に、グリニッジで宣教の働きを受け継いでくださっている、立石先生方の働きを覚えて、祈って支えていただきたいと思います。この夏も多くの方々が帰国されて、先生方は大きな困難の中にあると思います。ぜひ祈って支えていただきたいと思います。


お祈りを致します。

ハレルヤ、天のお父様、あなたの御名を心より讃美申しあげます。主よ、あなたの御心を信じて歩む時に、あなたは本当に素晴らしい恵みを現してくださることを、この13年の歩みを通してあなたは確信させてくださいましたから、主よ、心より感謝いたします。30数名の方々が受洗されました。主よ、感謝いたします。また60名の方々が日本に送り出されて、日本で仕えておられます。感謝いたします。

また過去13年の間に、この本郷台教会をあなたは愛し、本当にめざましい発展を成させてくださいました。主よ、心より感謝いたします。これからも引き続きこの本郷台教会を用いてくださって、更に多くの方々があなたに立ち返っていきますように、その人生が変えられていきますように、主を愛し、主に仕える方々が更に起こされるように、あなたが働いてくださいますようお願い申しあげます。

この者たちのつつじヶ丘での働きをもあなたが守り、祝福してくださいますようお願いいたします。

尊いイエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン!