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まず、キリストが人としてこの世におられた時とあります。この人となられたキリストは仮りの人の姿とか、一時的な人の姿とかいうことではありません。完全に人となった姿を意味しています。それはイザヤ53:1〜5によく言い表わされています。
また、キリストの生涯は「飼い葉おけ」から「十字架」までと言えます。そしてヘブル4:15にありましたように全ての点で私たちと同じところを経験されたということです。
それですからその先のような祈りが生れてくるのです。 神の御子であられるお方として見たならば、大きな叫び声と涙とをもって祈るというようなことは、おおよそ不似合いです。
しかし、完全に人となって人として生きてくださったキリストは弱さを知り、涙し、苦しまれたのです。 私たちも彼を尊ばなかった。(イザヤ53:3)キリストは聖人でも、偉大な人でも、教祖でも、私たちと同じ人間なら、信じなくたって滅びることはありません。しかしキリストが救い主であったなら信じなかったら永遠に滅びてしまうのです。そしてキリストは正しく救い主、メシヤなのです。
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