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キリストは御子であられるのに、多くの苦しみによって従順を学び、とあるところは
、驚くべき言葉です。
人間レベルで考えるならば、人はその人の立場や身分に合った、
ふさわしい在り方、行動があるはずです。
キリストは神であられるのだから、苦しみに
会うなどふさわしくない。しかし、キリストは苦しまれた。全く人間と同じようにです
。
しかも苦しみによって従順を学んだという表現は心に迫るものがあります。神が人と
なられたというだけで私たちには信じられない従順が伺えるのですが、その上人間とし
て誰もが経験しない苦しみを数々通られ、その最後には十字架という極限の苦しみを経
験された。この苦しみは人間の誰1人として耐えられないものです。
世の中で十字架刑
で処刑された人は多くいますが、キリストの十字架刑は単に処刑されるためのそれでは
決してありませんでした。
キリストの十字架刑は人類の罪に対する神の審判としての裁
きでした。これは人間の誰1人耐えられるものではありません。「エリ、エリ、レマサ
バクタニ」はそれを表しています。キリストだけがそれを耐えてくださったのです。で
すから完全な者とされたのです。この言葉はまた重いものがあります。このことこそ私
たちが救いに至るための大事な、すばらしい言葉であったからです。私たちの救いの希
望の言葉です。
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