み言葉の黙想
池田登紀子副牧師 【宣教題】
主よ、なぜ私のために(マルコ14:32-39)


 Date:1998/02/22

『アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯 をわたしから取りのけてください。』            マルコ14:36

主イエスはゲッセマネで苦しみ悶えられた。また、ゴルゴタ(ラテン語はカ ルバリー)で「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのです か。」と叫ばれるほどの苦しみ、悲しみの極限をとおられた。そこはあまりに もきびしい罪の裁きの場でした。「罪の支払う報酬は死です。」(ローマ6: 23)と定められていた、その罪のもたらす悲惨な絶望の死の場でした。

神を捨てた者が神から捨てられねばならない、そのきびしさがどれほどのも のかを私たちの心は、罪のため、にぶくなっているので、その現実を実感し得 ないでいるが、実際には、人はだれもそのカルバリーには立ち得ないきびしさ です。主イエスは私に代わってそこに立って下さったのです。私たち人間は本 来、いるべき所からさまよい出て、神との正しい関係を捨てて、自分勝手な道 に向って行き(イザヤ53:6)ました。その結果、何事にも自己中心になって しまっています。そこに罪の根源があるのです。ローマ3:23は実に愛なる 神の痛みです。愛の神が人に与えられ尊重しておられる<自由意志>によって人 の(私達)選び取った道はゲッセマネであり、ゴルゴタでした。主イエス様が そこで私たちの全ての罪をご自分の身に負われたのです。IIコリント5:21。

主よなぜ私たちのために、そこまでして下さったのですか?
「ここに愛があるからです。」Iヨハネ4:10


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