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主イエスはゲッセマネで苦しみ悶えられた。また、ゴルゴタ(ラテン語はカ
ルバリー)で「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのです
か。」と叫ばれるほどの苦しみ、悲しみの極限をとおられた。そこはあまりに
もきびしい罪の裁きの場でした。「罪の支払う報酬は死です。」(ローマ6:
23)と定められていた、その罪のもたらす悲惨な絶望の死の場でした。
神を捨てた者が神から捨てられねばならない、そのきびしさがどれほどのも
のかを私たちの心は、罪のため、にぶくなっているので、その現実を実感し得
ないでいるが、実際には、人はだれもそのカルバリーには立ち得ないきびしさ
です。主イエスは私に代わってそこに立って下さったのです。私たち人間は本
来、いるべき所からさまよい出て、神との正しい関係を捨てて、自分勝手な道
に向って行き(イザヤ53:6)ました。その結果、何事にも自己中心になって
しまっています。そこに罪の根源があるのです。ローマ3:23は実に愛なる
神の痛みです。愛の神が人に与えられ尊重しておられる<自由意志>によって人
の(私達)選び取った道はゲッセマネであり、ゴルゴタでした。主イエス様が
そこで私たちの全ての罪をご自分の身に負われたのです。IIコリント5:21。
主よなぜ私たちのために、そこまでして下さったのですか?
「ここに愛があるからです。」Iヨハネ4:10
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