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このヘブル11章1節は短かい文章ですが、訳は様々あります。新改訳では保
証と訳されていますが、口語、文語、新共同訳では確信と訳しています。新改
訳の脚注には実体とあります。同じ原語が1:3にあります。そこでは本質と
訳しています。
そして後半の、目にみえないものを確信させると訳されているところは、他の
訳では、確認する、または、まこととするとなっています。ここのところは信
仰の定義としてよくとりあげられるところです。
信仰とは、私たちにとっては、まだその実体にはあずかってはいないが、必ら
ずあずかれると確信する。または私たちはその保証をいただいている。だから
不安はない。ということです。それを裏づけているものがイエス・キリストで
あります。
また、後半は目に見えないものを確信させるとありますが、霊的なものは私た
ちの目には見えません。しかし、その目に見えない霊的なものをあたかも見え
るかのように確信させるのです。なぜならキリストが死んでよみがえって天に
昇られたからです。私たちはイエス・キリストが与えられて、すでにその実体
の何であるかを確信をもって告白できるのですが、旧約の人々はそれをはるか
に見ながら、なお確信したということは私たちにも大きな励ましになります。
その信仰にならいたいものです。
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