み言葉の黙想
池田博主任牧師 【宣教題】
アブラハムの信仰 (ヘブル11:17〜19)


 Date:1998/11/08

「信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を 与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。」ヘブル11:1 7

アブラハムが100才になった時、ようやく子供が与えられました。カルデヤのウル を出て以来25年がたっていました。神さまは子孫の繁栄の祝福を与えると約束して おられたにもかかわらず、25年子供が生まれませんでした。アブラハムにとって、 そのことはどんなに厳しい試練であったのかは、アブラハムの生涯を見る時よく分か ります。

神さまはそれを分かっていながら、何故子供をさずけられなかったのでしょう。そこ にアブラハムの信仰の訓練があったのです。しかし、時が来た時、神は応えておられ るのです。しかもそれはアブラハム、サラにとっては全く人間的には考えられない年 になってです。そこに、神の意図がありました。

人間にとって不可能であるところで神は働かれる。そして人間は忍耐を学ばされる。 アブラハムについに子供が与えられました。ところが今度はその与えられた子供を犠 牲としてささげなさいと命じられたのです。人間的には信じられない命令です。しか し、そこにも深い神の意図がありました。

アブラハムにとっての子供イサク、それは与えられ方があまりに特別なことであるの で、アブラハムの偶像になりかねない。そこに神さまは鋭いメスを入れられたので す。何とアブラハムはその試みに対して、イサクをささげる決心をしたのです。それ はアブラハムのそれまでの信仰の結晶でした。


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