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4節の主イエス様のお言葉はシモンにとって素直に従いにくかったと思う。彼は徹夜
で漁をして一匹の魚もとれず、疲れ切って空しく網を洗っていたのだから。
プロの漁師である彼が良く知っている漁場で一晩中、根気良く働いて何の獲物もな
い!疲れ果てたみじめな思いの中で、「もう一度沖へ出て網をおろす」という事はシ
モンの常識と経験に反することであり、無駄に思えることだったに違いない。だから
彼はすぐに答えている。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれません
でした」と。
しかし彼は主イエス様のお言葉通りに深みに漕ぎ出した。たった一つの理由から。
「お言葉ですから(口語)」とその通りに行動した。そこでシモンは自分の常識や経
験をこえ、人知をはるかにこえた事実を体験する。主のみ言葉の権威を認め、自分の
おごり、横柄さを悔いたシモン・ペテロの姿を8節に見る。シモンと主との本当の出
会いは、自分にかけられた主イエスのお言葉を、その通りにしたところにあった。
現在、神のみ言葉が私たちの中で観念化し、思想化してないかを自分に問われる。そ
れは、今も生きておられる主との出会いを妨げる。私たちと神との出会いは自分の経
験や常識ではからず、「主のお言葉だから」というだけが十分な動機となって、その
みことばの中に踏み込んで行くところに始まる。
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