み言葉の黙想
池田博主任牧師 【宣教題】死の向こうにあるもの

 Date:1999/04/04

「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」 ルカ24:5〜6

キリストの処女降誕と復活はキリスト教への最も大きなつまづきの石です。キ リストの教えは「山上の説教」(マタイ5〜7章)に代表されるように、私た ちを天に向かって目を開かせ、全く新しい価値基準を示してくれます。また、 なさった行ないは人々を悲しみ、絶望の淵から希望と平安の境地に導きいれて くれます。

その教えと行ないの境地が高いだけに、処女降誕と復活の出来事はキリストを 低めてしまう、残念な記事であるという。何故そうなのか。……しかし、もし 、聖書からこの2つを除いたならば、最早、背骨のない体、柱のない家のよう なものです。

処女降誕と復活は何故大事なのか、それは、神が人となるためにとられた最高 の最善の方法であったからです。処女降誕を通して、キリストは罪のない人と して来られたのです。そして、復活を通して、人類の贖いのわざが完全な形で 成し遂げられたのです。

イースター、それは人類が罪のため、絶望し、奈落に落ちた所から、天に向か って救い出される道が開かれた出来事です。もし、キリストの復活がなかった ら、世界は全く、罪と暗闇の中に閉じ込められて、滅びるしかありません。で すから、復活という事実とその光のもとにあってこそ、キリストの教えと行な いがより大きな意味と力と希望を与えてくれるのです。復活の主を心から讃美 しましょう。


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ご意見・ご感想はこちらまで Mail to: honここに言われていることをもう少し説明しますと、競技場で走っている人々は 私たち、この地上にあるクリスチャンたちです。そして多くの証人が雲のよう に取り巻いているというのは競技場を見下ろす観客席にいる人々のことです。

観客席にいる人々は11章で見て参りました。信仰の勇者たち、私たちの信仰 の指導者、先輩たちです。彼らは信仰の戦いを戦い抜いて来た人たちです。殉 教者もいます。その人たちが、今度は観客席にいて、応援していてくれる。彼 らは単なる見物人ではなくて一生懸命に励ましをしようとしていてくれるので す。

ここで大事なことは、観客席にいる人たちから今競技場にいる私たちはバトン タッチをされて信仰の馳場を走っているということです。そして私たちは次の 走者に確実にバトンを手渡していかなければなりません。もしバトンが次の走 者に手渡されなければ、そこでリレーは終ってしまう。棄権することになって しまう。もしそうなったら、アブラハムから続いて来た信仰の大事な継承はな くなってしまう。そんなことがあってはならない。godai@church.email.ne.jp