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前節までは励ましの言葉がつづいていました。今日の所も励ましではあるのですが、クリスチャンが陥りやすい、危険に対する警告を通して、叱咤激励をしています。 私たちが陥りやすい、危険について取り上げています。その最初は“苦い根が芽を出して悩ましたり、汚されたりしないように”ということです。苦い根、これは申命記29:18からの引用ですが、異教の神々を持ち込むことを指しています。そのことから、私たちはともすると、み言葉の基準を自分たちの都合のいいように常識化してしまったり、また、私たちの心に起る不平、不満と言った苦い思いが芽を出す危険を指しています。根という表現がまた大事な警告です。 次は“エサウのような俗悪な者がないように”ということです。旧約聖書のエサウとヤコブという双子の兄弟について見る時、性格の面からすると、むしろヤコブの方がずる賢く、兄を騙す悪い人間になっています。 しかし、ヤコブは神の前に、真剣に出て、自分の罪を悔い、祝福を求める者となっていきます。神はそのヤコブを取り扱いつつ、導かれるのです。エサウは長子の権利を軽く見たことから、どんどん神の祝福から遠のいていきます。しかも問題はその事について真剣に神の前に出る姿勢が見えない事です。俗悪なという表現は霊的な無関心ということを意味しています。私たちは自分が霊的に無関心になっていないかどうか、良く自己吟味したいものです。そして真剣に主を求めるものになりたいものです。
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