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18〜21は旧約時代、モーセがシナイ山で律法が与えられた時の光景です。22〜24は新しい契約の仲介者キリストによって私たちクリスチヤンに開かれた世界の祝福と栄光に満ちた姿です。 しばしば私たちは旧約聖書に現われている神は恐い神であると言います。確かにここに表現されている神はそれを裏付けるものがあります。モーセでも、私は恐れて、震える、と言っていますから。 それと比較して22〜24に画かれている光景は、祝福と栄光に富んだ姿、しかもそこには、あなたがたは…に近づいているのです。 さらに、新しい契約の仲介者イエスに近づいているのです、とあります。全て、私たち、主に購われたクリスチヤンのために備えられたものです。皆さん今、罪にスポットを当てて考えてみたいと思います。罪がもたらしたものは、神との断絶であり、暗闇、死、裁き、滅びです。18〜21は、まさに罪の結果の姿なのです。ですから、ここにあるのは、神の恐さ以上に罪の恐さなのです。 そして、神はその罪の恐さを私たちから取りのけるために、御子キリストを世に遣わし、十字架にかけられたのです。そして、のろわれたのです。(ガラテヤ3:13) そのため私たちは永遠の滅びから一気に天のエルサレムに住むことが出来る、栄光の住人となることが出来たのです。ハレルヤ!
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