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牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやりなさい。 ここに言われていることも1節にあります、兄弟愛の大事な実践の1つであります。しかし、ここで改めて心に留めさせられることは、牢につながれている人々、ということであります。牢につながれている人々とはまず何より、信仰のゆえに捕らえれた人々を指しているということであります。そういう人々に対して、私たちに同じ牢に入れられた気持で思いやりなさい、というのです。ここにクリスチャンの大事な姿勢がうたわれていると思います。他にも"喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣きなさい。"(ローマ12:15) "もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しむ。"(I コリント12:26)とあり、その人と痛みや苦しみを共有することが勧められています。 しかし、私はここに"牢"といわれているところに、もう1つ思いが深められます。イエス様自身が、捕らえられてしばし牢にとじ込められましたが、牢に入れられるという時、いろいろな意味でそこに入れられます。"牢、そこは罪の結果の罰として、報いとして、そこに入れられます。そんな時私たちは、自分はそういう者ではない。そんな罰をうけるような者ではない。彼らは自業自得であると言ってしまいやすい。あなたはそういう牢に入っている人の隣り人になれるでしょうか。
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