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この章の物語の背景には一人の人の葬儀があります。葬儀とは地上での愛するものとの別離なので、私たちにとっては大きな悲しみのときです。しかしその時は、私たちが一番大切なことと向き合うときでもあります。それは「死」の問題です。旧約聖書のある一節に「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」(伝道7:2 )とあります。フランスの有名な数学者、又、物理学者であるパスカルもその著書「パンセ」の中でこう言っています。…すべての人は死刑を宣告されている。にもかかわらずその死と向き合うことなく、目の前の「気を紛らわすことのできる何か」を求めて生きている。断崖絶壁のがけっぷちに向かって歩んでいながら、目の前に何かさえぎるものを置いて見まい、考えまいとしている人のようである…。しかし実はこれが人間にとって一番不幸な状態なのです。死と真剣に向き合わないので、自分の現在の命の与え主についても考えることをしない。そしてその与え主を知ることがない。この与え主は実はすばらしく愛に富んだ方なのですが、その方の愛についても知ることがないのです。もしこの方の愛に触れることができるなら、現在与えられている命も全く違った意味を持ってくるのです。そしてさらにすばらしいことには、私たちは死に対して勝利して生きることができるのです。
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