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前回金銭を愛することへの戒めを聖書から見ました。金銭は大事なものであるけれども、決して愛の対象ではない、ということです。 今日のところは、そのつづきであり、結論でもあります。主は私の助け手です。今日のところで目にとまるのは、助け手というところです。神様はアダムを造られたのち彼のふさわしい助け手をさがされましたが、結局、アダムのあばら骨の1つからエバという助け手をお造りになりました。 そこで、アダムとエバはお互いに助け手を得ることで理想の夫婦、理想の人間関係が誕生しました。 しかし、そのあと、2人が罪をもってしまった時、その助け手はお互いに責め合ったり、裁き合ったりして、壊れていってしまうのです。そして、お互い、それぞれにふさわしい助け手が必要になったのです。その時、なんと、主ご自身が私たちの助け手となって下さるというのです。素晴らしいことです。 私はこのことから、2つのみ言葉が導かれました。1つは詩篇46:1です。この記者は、神を避け所、力、そして苦しむ時、そこにある助けと言っています。神を私たちの生活の避け所と出来ることは、何と素晴らしいことでしょう。これはまさに神をアバ父と呼ぶことの出来る関係を指しています。またもう1点はローマ8:28です。ここでは助け手となるとは神に愛されているという者の姿です。 愛の関係にあるものにとって、どんなことでもプラスになるという考え、信仰です。絶対にマイナスはない。こういう生き方が出来ることは何と素晴らしいことでしょう。
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