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初代のクリスチャンたちにとってパウロはとても恐ろしい存在でした。しかし、救い主、キリストと出会った後のパウロは、その後の教会にとってこの上もない、すばらしい祝福となりました。 人というのは不思議な存在です。お互いにとって祝福にもなるし、忌まわしい存在にもなり得ます。いくらのろってものろい足りないような存在になるし、どんなに感謝しても感謝しきれない存在にもなります。この違いは何処からくるのでしょうか。わたしたちが願うのは、なんといっても、自分が他の人にとって祝福となることだと思います。でもどうしても、お互いにそうはなれていない現実が自分たちの身の回りにはあります。自分の内側にもその現実があります。では自分が他の人にとって祝福となる秘訣があるとしたらそれはなんでしょうか。それにはさまざまな要素が考えられますが、聖書の観点から言えることは、「赦される」ことです。私たちの生活の中において「赦し合う」事ほど必要とされているものはないのです。赦しは和解につながり、和解は良い関係につながります。お互いの間の良い関係ほど私たちが必要としているものはないのです。「赦し」を体験すると私たちは力に満ちます。「赦し」は人を新しい世界に導き入れるのです。 「わたしはあなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」 エゼキエル36:26
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