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4月 巻頭言 一歩一歩導かれる主

毎日のみことば4月号巻頭言
主任牧師 池田恵賜

私は15歳のときに救われましたが、そのときは洗礼決心までには至りませんでした。両親の背中を見て育った私にとって、「洗礼=献身」であって、洗礼を受けるということは、すなわち主に残りの人生をささげて歩むことだと考えていました。

しかし、私が洗礼(献身)決心する日は案外早く訪れました。翌年の16才の夏に、私ははっきりと、イエス様が「死ぬべき私の命」を引きとり、私には「イエス様のいのち」が与えられたことを知ったのです。いや、知ったというより心に刻みこまれるような経験をしたのです。
そのとき私はイエス様に、「イエス様、死ぬべき私の身代わりとなって十字架で死んでくださりありがとうございます。私の残りの人生をあなたにささげます」と祈ったのです。

そこからの神様の導きは、速やかで確かなものでした。その後、父親がアメリカへの邦人伝道視察旅行に出かけ帰ってくると、「恵賜、お前の行くべき道が示されたよ」と言って一冊のパンフレットを手渡されました。それが後に私が通うことになるコロンビアバイブルカレッジのものでした。

さらに英語が嫌いな私に神様は、ジェンセン先生との出会いを与えてくださいました。ジェンセン先生はTEAMという宣教団体の宣教師で、その年に本郷台駅のすぐ近くにできた伝道所に派遣されてきたのでした。早速、遣わされた地域を知ろうと先生が自転車に乗り走っていると、本郷台キリスト教会の看板に目が留まりました。どんな教会かと思って平和台の坂を上っていくと、いつものように教会の前に椅子を持ち出して日向ぼっこをしていた浅次郎じいちゃん(私の祖父)を見つけました。ジェンセン先生が浅次郎じいちゃんに声を掛けたところ、外国人にいきなり声を掛けられた浅次郎じいちゃんは、とにかく「中へどうぞ」と牧師室にいる博先生のところに連れてきました。

そして、ちょうど博牧師とジェンセン先生が話をしているところへ、私が入って行ったのでした。週報に載せる礼拝人数が書かれている小さな紙が、いつもであれば原稿の一番上に乗っているのですが、その日に限って原稿の一番下に置かれていたため取り損ねて、牧師室に取りに戻ったのです。

私は、父親と外国人が話していたので挨拶して失礼しようと思ったら、父親が突然「次男の恵賜です。今度献身してアメリカの神学校に行くことになりました」と紹介したのです。なぜ初対面の人にそのような紹介をしたのか分からないと後になって父親も言うのですが、その一言が神の導きを確信させるものとなりました。ジェンセン先生は「そうですか、どちらの学校ですか?」とかれ、「コロンビアバイブルカレッジです」と答えると、先生は「私、その学校を卒業しました」と言われたのです。そのことがきっかけで先生は私に英語を教えてくださることになり、留学までの様々な手続きを助けてくださったのです。

いま考えると、とても小さなことに思えますが、もしあのとき浅次郎じいちゃんが教会の前に座っていなかったら、もしあのとき博先生が出掛けていたら、もしあのとき私が礼拝人数の書かれた小さな紙を取り損ねて牧師室に戻らなければ、と考えると、神様のなさることは実に絶妙です。
そのような小さなところに働かれる主の御手を見て、一歩一歩主に従って歩むことが大切なのだと思わされます。

あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。 詩篇119:105

先日、ブラジルから来た宣教師の証しを聞きました。
彼にはアメリカ人の奥さんと6人の子どもがいます。ブラジルへ宣教師として派遣され、その宣教の働きがとてもうまくいっているときに神様から「その働きをやめて、日本に行きなさい」という声を聞いたそうです。

彼は「えっ神様、日本ですか? 今このタイミングでですか? このミニストリーを手放してですか?」と、初めは受け止められなかったそうです。さらに日本について調べてみると、「宣教師の墓場と呼ばれている(日本では宣教がうまくいかず宣教師は落胆するという意味)」とか、「1%未満のクリスチャンしかいない」など、あまりモチベーションが上がらない情報ばかりが目に飛び込んできて、「日本に行くのは本当に嫌だ」と思ったそうです。

当時、そのような否定的な言葉ばかりを口にしていて、彼の心はどんどん沈んでいったそうです。そんなあるとき、神様から「あなたの口にする言葉があなたを作り出すのだ。もっと肯定的な言葉を使うようにしなさい」との語りかけを受け、ハッとさせられたそうです。それから、彼は意識して肯定的な言葉を選ぶようにしました。

「日本はこれからリバイバルが起きる国です。日本には可能性があります」、「日本にはまだ福音を聞いていない多くの人たちがいます。彼らは福音を必要としています」など、かつて否定的に発していた言葉を意図的にひっくり返して、肯定的な言葉に替えて口にするようにしました。

すると不思議なことに、しばらくすると日本に行きたくないという思いは消え、日本を愛する心、日本に行きたいという願いが起され、その思いはどんどん強くなっていったというのです。
その後、彼ら家族は長崎県の教会が一つもない町に引っ越し、そこに家を借りて住み、伝道を始めました。現在、そこで礼拝を始めているそうです。

私は、この素晴らしい証しを聞いて感動しました。
そして、この宣教師の経験は他にも応用できるなと思いました。
夫婦関係が冷めてしまって相手に対する不平や不満しか出てこなくなったとき、友人関係がこじれてしまったとき、嫌な仕事などに向き合わなければならないとき、否定的な言葉をあえて肯定的な言葉に置き替えて言ってみるのです。
すると、きっと私たちの心の向きが変えられ、物事に対する見方が変えられていくことでしょう。

特に、神のみこころと自分の思いが違うとき、私たちは自分の視点からの主張ばかりをしがちです。しかし、そんなときこそ自分の視点を意図的に変え、肯定的な言葉を選んで発してみることが大切なのです。

この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。 ローマ 12:2

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