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2025年5月4日 何を基準に生きるのか
2025年5月4日 何を基準に生きるのか
コリント人への手紙 第二 4章1〜2節 池田恵賜 主任牧師
さて、今週の「毎日のみことば」の聖書箇所は、第二コリント3章から9章です。今日は「何を基準に生きるのか」と題して、みことばから聞いていきたいと思います。
コリント教会は問題の多い教会でした。パウロはコリント教会に3度足を運び、4通の手紙を書きました。しかし、その訪問や手紙が原因で新たな問題が起こったり、教会の中にパウロの「使徒としての権威」を否定するグループが現れたりして、パウロを悩ませたのです。
この問題は複雑で聖書をそのまま読み進めても、なかなか理解するのは難しいので、はじめに「コリント教会の内情とパウロの対応」に関して時系列で見て、整理していきたいと思います。
今日は聖書をたくさん開きますが、時間の関係でスライドに書かれている聖書箇所すべてを開くことはできません。関心のある方は、後でご自身で開いてみてください。
まず、コリント教会誕生の頃に起きた出来事を見ていきましょう。

コリント教会は、パウロが第2次宣教旅行で、コリントに滞在したことによって生まれました。これが第1回目のパウロのコリント訪問です。このときパウロはコリントの町でアキラとプリスキラに出会います。そして、会堂司であるクリスポ一家が救われました。使徒18:8です。
“会堂司クリスポは、家族全員とともに主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。”
これがコリント教会の誕生です。今日は開きませんがⅠコリント1:26-27を見ると、コリント教会には、異邦人や地位の低い人たちが多くいたようです。パウロは「この町にはわたしの民がたくさんいる」との主からの励ましを受けて、コリントの町に1年半滞在して伝道します。
その後、パウロはエペソへ移動しますが、おそらく、このときエペソから「前の手紙」と言われる初めの手紙をコリント教会に向けて書きます。この手紙に関してはⅠコリント5:9-10に言及されています。
“私は前の手紙で、淫らな行いをする者たちと付き合わないようにと書きました。それは、この世の淫らな者、貪欲な者、奪い取る者、偶像を拝む者と、いっさい付き合わないようにという意味ではありません。そうだとしたら、この世から出て行かなければならないでしょう。”
この手紙は、現代では喪失してしまっていますが、ここに書かれているように「淫らな行いをする者たちと付き合わないように」という内容であったようです。しかし、この「前の手紙」は、コリント教会に誤解を与えました。
次に、パウロの第3次宣教旅行中、エペソに滞在する前後に起きた出来事を見ていきましょう。こちらのスライドをご覧ください。

まず、パウロがエペソに到着する前に、アポロがエペソに来て、アキラとプリスキラに出会い、この夫婦に指導を受け、コリントに派遣されています。使徒18:27-19:1をお読みいたします。
“アポロはアカイアに渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、彼を歓迎してくれるようにと、弟子たちに手紙を書いた。彼はそこに着くと、恵みによって信者になっていた人たちを、大いに助けた。聖書によってイエスがキリストであることを証明し、人々の前で力強くユダヤ人たちを論破したからである。アポロがコリントにいたときのことであった。パウロは内陸の地方を通ってエペソに下り、何人かの弟子たちに出会った。”使徒18:27-19:1
アポロと入れ違いに、パウロがエペソに来て、約3年間滞在します。以前お話ししたように、このエペソでの宣教の働きは祝福も大きかったのですが、戦いも大きく、パウロは「耐えられないほどの苦痛を受け、生きる望みを失うほどだった」と語っています。
このエペソ滞在中に、コリント教会から「クロエの家の者」が来て、「前の手紙」から生じた誤解についての報告をします。Ⅰコリント1:10-11です。
“さて、兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたにお願いします。どうか皆が語ることを一つにして、仲間割れせず、同じ心、同じ考えで一致してください。私の兄弟たち。実は、あなたがたの間に争いがあると、クロエの家の者から知らされました。”Ⅰコリント1:10-11
クロエの家の者からの報告を聞き、パウロは「コリント人への手紙第一」を執筆し、テモテに持たせ、コリント教会に派遣します。その中でパウロは「前の手紙」に対する誤解を正し、おそらくクロエの家の者から聞いたであろうコリント教会の現状や、彼らの抱えていた疑問や問題に答えています。いまその一つひとつの箇所を開くことはしませんが、それらは分裂分派の問題であったり、結婚に関する問題であったり、教会内の秩序や偶像にささげた肉、また聖餐に関する問題でした。
「コリント人への手紙第一」を読むと、いかに多くの問題がコリント教会にあったかが分かります。初めにパウロがコリントを去った後、アポロが来たり、エルサレムからユダヤ主義的クリスチャンが来たりして、それぞれにコリント教会を指導した結果、混乱したのでしょう。パウロはそのような状態のコリント教会に「あなたがたを霊的に生み出した父親は私なのだ」と言います。
Ⅰコリント4:14-17です。
“私がこれらのことを書くのは、あなたがたに恥ずかしい思いをさせるためではなく、私の愛する子どもとして諭すためです。たとえあなたがたにキリストにある養育係が一万人いても、父親が大勢いるわけではありません。この私が、福音により、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。ですから、あなたがたに勧めます。私に倣う者となってください。
そのために、私はあなたがたのところにテモテを送りました。テモテは、私が愛する、主にあって忠実な子です。彼は、あらゆるところのあらゆる教会で私が教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。” Ⅰコリント4:14-17
「コリント人への手紙第一」を書いた後、パウロはどうしてもコリント教会のことが気になったのでしょう。詳しく記されていませんが、パウロはエペソ滞在中に一度、コリント教会を訪れ、彼らを「悲しませる訪問」をします。Ⅱコリント2:1と13:2からそのことが分かります。
“そこで私は、あなたがたを悲しませる訪問は二度としない、と決心しました。” Ⅱコリント2:1
次にⅡコリント13:2です。
“以前に罪を犯した人たちとほかの人たち全員に、私は二度目の滞在のとき、前もって言っておきましたが、こうして離れている今も、あらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったときには、容赦しません。”Ⅱコリント13:2
パウロの2度目のコリント訪問は、彼らを悲しませる結果となりました。そこでパウロは2度目の訪問から戻って来て、コリント教会に3通目の手紙となる「涙の手紙」を書きました。
Ⅱコリント2:4です。
“私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらにあなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を、あなたがたに知ってもらうためでした。”
パウロは、この「涙の手紙」をテトスに託します。この「涙の手紙」は、現在は残っていませんので、内容を知ることはできません。パウロはこの「涙の手紙」の反応をとても気にしていました。
次のスライドです。

ここでは、第3次宣教旅行でエペソに3年滞在したパウロが、その後トロアスへ行き、マケドニアに渡り、コリントに行った辺りの出来事を見ていきましょう。
テトスがなかなか戻ってこないので、トロアスの宣教がうまくいっていたにもかかわらず、パウロは海を渡り、マケドニアへ移動してテトスを待ちました。このときパウロがコリント教会のことを、どれほど気にかけていたかⅡコリント2:12-13と7:5を読むと分かります。
“私がキリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いておられましたが、私は、兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがありませんでした。それで人々に別れを告げて、マケドニアに向けて出発しました。” Ⅱコリント2:12-13
次にⅡコリント7:5です。
“マケドニアに着いたとき、私たちの身には全く安らぎがなく、あらゆることで苦しんでいました。外には戦いが、内には恐れがありました。”Ⅱコリント7:5
その後、マケドニアでコリントから戻ってきたテトスと出会うことができ、彼から「コリント教会が悔い改めた」との喜びの報告を聞くのです。Ⅱコリント7:6-9です。
“しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことで私たちを慰めてくださいました。テトスが来たことだけでなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、私たちは慰められました。私を慕うあなたがたの思い、あなたがたの深い悲しみ、私に対する熱意を知らされて、私はますます喜びにあふれました。
あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、私は後悔していません。あの手紙が一時的にでも、あなたがたを悲しませたことを知っています。それで後悔したとしても、今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちから何の害も受けなかったのです。”
ここでパウロは、喜びの中で4通目となる「コリント人への手紙第二」を執筆し、テトスを再度派遣します。その後、パウロ自身3度目となるコリント訪問をするのです。
このように全体を繋ぎ合わせて読むと、コリント教会に関する一連の流れが分かるのですが、使徒の働きには、エペソを出てからコリントに行くまでの一連のことがほとんど記されておらず、使徒20:1-3aにパウロの動向だけが、簡潔にこのようにまとめられています。
“騒ぎが収まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げ、マケドニアに向けて出発した。そして、その地方を通り、多くのことばをもって弟子たちを励まし、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした。”
「マケドニアに向けて出発した。そして、その地方を通り、」という言葉の中に、ここまで見てきたような多くの動きがあったのです。詳しく書かれていないのは「ルカが同行していなかった」ということも一つの理由でしょうが、パウロ自身が「コリント人への手紙」の中で詳細を書いていることや、内容が個人的な攻撃になり得たり、重いこともあったりして、あえてコリント教会の問題について、ルカは記さなかったのかもしれません。
誰の推薦状で働くのか
さて、パウロは他の手紙ではほとんど使っていないある言葉を「コリント人への手紙第二」の中で多用しています。それは「推薦」という言葉です。第2コリント3章から12章の間に9回使っています。
コリント教会の問題を複雑にしていた1つの大きな原因は「分裂分派の問題があった」ことです。コリント教会のある者は「パウロにつく」と言い、ある者は「アポロにつく」と言い、また別の者は「ペテロにつく」と言っている状態でした。
偶像にささげられた肉の問題をみると、ユダヤ主義的クリスチャンの影響があったかと思います。きっと、「ペテロにつく」と言った人々は、エルサレム教会からの推薦状を持ってコリント教会に来た指導者たちの影響を受けたのではないかと思います。
先ほど見たように、アポロもエペソ教会からの推薦状を持っていました。当時は携帯も免許証もパスポートもないので、このような推薦状を持っていくのが普通でした。しかし、パウロは推薦状など持っていません。パウロ自身がコリント教会を立ち上げた張本人だからです。
しかし、時が経ち、パウロがコリント教会を去ってから救われた人もいるでしょうし、推薦状を持った他の指導者たちが訪れたこともあって、推薦状もなく手紙であれこれ指示してくるパウロに対して不平をもらす人々が出てきたのです。
更にコリントの町は貿易都市として栄えていて、そこにはあらゆる人種の人がいて、お金や物が飛び交っていました。欲望に満ちた町だったのです。そのような町でしたから、「救われた」といっても、世の影響から抜け切れていないクリスチャンたちもいたことでしょう。
彼らは、この分派の流れに乗じて、結婚においても「父の妻を妻とする」という異邦人でもしないようなみだらな行いをしたり、聖餐式を軽んじ「お腹が空いているから」と言って、我先にと食事をし、お酒を飲んで酔っ払い、一致をもたらすはずの聖餐式において分裂をもたらしたり、揉め事が起これば教会のリーダーの指導を仰がずに裁判を起こしたり、なんでも好き勝手して、教会をかき乱したのです。
彼らは「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ってみると弱々しく、話は大したことはない」(Ⅱコリント10:10)と、パウロのことをこき下ろします。そうすることによって、彼らはコリント教会の人々の中で、パウロの使徒としての権威に疑念を抱かせたのです。
それに対してパウロはこのように言います。Ⅱコリント3:1-2です。
“私たちは、またもや自分を推薦しようとしているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたに宛てた推薦状とか、あなたがたからの推薦状とかが、私たちに必要なのでしょうか。私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心に書き記されていて、すべての人に知られ、また読まれています。”
パウロは推薦状が必要であるならば、「あなたがたこそ私の推薦状なのだ」と言うのです。これはおそらくⅠコリント3:13-15を念頭においた言葉ではないかと思われます。
“それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。
だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。”
コリントという「教会」がいま現在、建て上がっている。「そのこと自体が私を推薦しているのだ」とパウロは言うのです。そして、パウロは「コリントの手紙第二」を書き進むにあたって、さらに「推薦状」に関しての問題の核心に触れていきます。
Ⅱコリント10:18で、パウロはこのように語ります。
“自分自身を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ本物です。”
人や教会からの「推薦状」という外見的なものをもって、自分を着飾るのではなくて「主からの推薦状をもらえる人こそ本物です」と言うのです。
人間的なもの、外面的なものを気にしている「あなたは主に推薦される人物となっていますか」というパウロの声が聞こえてきそうです。パウロは主の目をいつも意識して、「主から推薦される人物」となれるよう行動していました。
Ⅱコリント4:1-2で、このように告白しています。
“こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めについているので、落胆することがありません。かえって、恥となるような隠し事を捨て、ずる賢い歩みをせず、神のことばを曲げず、真理を明らかにすることで、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。”
自分の語る言葉と生活を神のみことばに照らし合わせたときに、「一点の曇りもないように気をつけている」とパウロは言うのです。
私たちも救われて、神のことばを託されている者として、そのように生きたいものです。