お知らせ

毎みこオンライン(11月号巻頭言)

メール配信サービスの不具合のため、期間限定で「毎日のみことばONLINE」を掲載します。

毎日のみことば年間購読者・および本郷台キリスト教会のWEBサイトをご覧になっている皆様へ

朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。明日から11月です。「毎日のみことばオンライン11月号」の配信に先立ち、巻頭言を掲載させていただきます。

メール配信システムのサービス停止に伴い、WEBサイト上での掲載とさせていただいておりますが、少しでもお役にてているでしょうか。当たり前のことが当たり前に出来ることが当たり前でないことに改めて気づかされるとともに、一刻も早く復旧することを願います。皆様の上に祝福がありますように。

「神様は、みんな同じ?」

主任牧師 池田恵賜

日本では昔から、さまざまな宗教や信仰を生活の中に取り入れてきました。

お正月には神社に初詣に行き、結婚式は教会で挙げ、お葬式はお寺で行う。クリスマスを祝い、ときには「何か良いことがありそう」とパワースポットを訪れる。それでも、そこにあまり矛盾を感じないというのが、日本ではごく自然な感覚なのかもしれません。

「宗教が違っても、結局求めているものは同じなのではないか」と考える人もいます。それぞれ呼び方や方法が違うだけで、どの宗教も行き着くところは同じなのだ、と。

そして、こうしていろいろな宗教を自然に受け入れられるところを、日本文化の良さの一つと考える人もいます。そうした見方から、「一つの神だけを信じる一神教は排他的ではないか」と感じる人もいるようです。

確かに、違う考えや信仰を持つ人を尊重することは、とても大切なことです。
でも、「一つだけを信じる」ということは、本当に心の狭いことなのでしょうか。

聖書は、その最初にこう語ります。
「はじめに神が天と地を創造された。」(創世記1:1)

聖書は、「たくさんの神々の中から、どの神を選びますか」とは問いません。「はじめに神が」と始まるのです。
私たち人が生まれる前から、神がおられた。私たちが神について考え始めるより前に、神がおられた。そして、その神がこの世界を造り、私たち一人ひとりを造られた、と聖書は語るのです。

ですから、聖書の信仰は、自分に合った神様をいくつかの選択肢の中から選ぶことではありません。「この神様のこの部分は好きだから取り入れよう」というものでもありません。
私たちが神を選ぶのではなく、私たちを造られた神がおられるのです。

しかも、その神は、私たちに「ここまで上って来なさい」と言われたのではありません。私たちの方から神にたどり着くことができなかったからこそ、神の方から私たちのところに来てくださったのです。

それが、イエス・キリストです。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)

キリスト教は、神にたどり着くための数ある道の一つではありません。神ご自身が私たちを愛し、私たちのところに来てくださったという知らせなのです。
私を造り、私を愛し、私を救うために来てくださった方を知ったからこそ、クリスチャンは「あなたこそ私の神です」とお応えするのです。

そして、「この方こそ私の神です」と信じることと、違う信仰や考えを持つ人を大切にすることは、決して矛盾しません。

イエス様は「良きサマリア人」のたとえを語られました。当時、ユダヤ人とサマリア人の間には、宗教的にも民族的にも深い隔たりがあり、互いに口をきくことさえ避けるほどでした。それでもイエス様は、サマリア人を良き隣人の模範として示されました。それだけではありません。イエス様ご自身もサマリアの町に入り、一人のサマリアの女性に声をかけ、向き合われました。

イエス様は、違う信仰でも良いと曖昧にされたのではありません。しかし、違いがあるからといって遠ざけることもなく、その人を大切にし、神の愛をお示しになったのです。

私たちも、この日本でイエス様に倣って歩んでいく必要があります。
私たちの周りには、さまざまな信仰や考えを持つ人たちがいます。それは同時に、イエス様の愛を証しする機会がたくさん与えられているということでもあります。

「イエス様こそ私の救い主です」という信仰からぶれずに、一人ひとりと向き合い、大切にし、愛していく。そのようにして、イエス様の愛をこの国で表していきましょう。


皆様の上に主の守りと祝福があるように、お祈りしています。

本郷台キリスト教会
毎日のみことば編集委員会
maimiko.hongodai@gmail.com
maimiko@hongodai.org

聖書 新改訳2017(c)2017新日本聖書刊行会

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