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2023年1月15日 2023年本郷台キリスト教会の取り組み(2)

2023年1月15日 2023年本郷台キリスト教会の取り組み(2)
イザヤ書 61章1節 池田恵賜 主任牧師

先週のメッセージで、神様が私たちを「不安や恐れを感じている人」、「生き辛さを抱えている人」のところへ遣わされるということを確認しました。そして、遣わされる私たちに(1)「神様はご自身の計画を予め語ってくださる」ということ、また神の器として用いるために(2)「私たちを砕かれる」ということを見ました。

今日も引き続き、今年教会に与えられたみことばイザヤ61:1から見ていきましょう。皆さんでご一緒に読んでみましょう。

【神】である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、【主】はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。”イザヤ61:1a

1. 神である主の霊がわたしの上にある

この初めの一文に「神である主の霊がわたしの上にある」とありますが、ここには「神である主」という「父なる神の存在」と、その「神である主の霊」という「聖霊なる神の存在」、そして「わたし」という「イエス・キリストの存在」が書かれていて、三位一体の神が表されています。

つまりイザヤ61:1は、「三位一体の一位格であるイエス・キリストは、主の油注ぎを受けて、貧しい人に良い知らせを伝え、心の傷ついた人を癒すために神によって遣わされた」ということを言っているのです。

2. 主はわたしに油を注ぎ

次に「主はわたしに油を注ぎ」という言葉に注目しましょう。旧約時代に油を注がれて任命されたのは「王」と「預言者」と「祭司」だと以前にお話しました。ですから、主なる神がイエス・キリストに「油を注がれた」というのは、イエス様に王、祭司、預言者としての役割が与えられたということになります。

この辺りの詳細は、2022年3月から4月にかけての「真実のイースター」シリーズでお話ししていますので、関心のある方は聞き直してみてください。

今日は、簡単に王と預言者と祭司の役割を振り返っておきましょう(図1)

王は「正義と公正をもって民を治め、導く」ために油を注がれて任命されました。
次に、預言者は「神の側に立って、民に神のことばを語る」という役割が与えられています。
そして、祭司は「民の側に立って、神の前に民のとりなしをし、民を聖める」ために選ばれ、油注がれました。

ここからも分かるように、イエス・キリストこそ真の王であり、預言者であり、祭司なのです。ここでイエス・キリストに注がれた油ということを考えてみましょう。旧約時代に「油を注ぐ」というのは、先に立てられた神の器の役割でした。サムエルはダビデに油を注ぎ王とし、エリヤはエリシャに油を注ぎ預言者としました。

3. 聖霊による油注ぎ

しかし、イエス様の場合は少し違います。イエス様はバプテスマのヨハネから洗礼を受けられましたが、そのときに聖霊が下り、聖霊による油注ぎを受けられたのです。使徒10:38bに、「神はこのイエスに聖霊と力によって油を注がれました」とあります。

聖霊による油注ぎを受けたイエス様は公生涯に入られました。イエス様は三年半の公生涯で数々の奇蹟のみわざをなし、貧しい者、傷ついた者を癒されました。そして十字架にかかり死んで、三日後によみがえられて、福音を完成させました。

よみがえられたイエス様は、弟子たちに「聖霊を受けなさい」と命じて、天に戻っていかれたのです。イエス様に従う者たちには、イエス様と同じように聖霊による油注ぎが与えられるのです。それは私たちもまた、神によって王として、預言者として、祭司として立てられているということを表しています。

4. 聖霊を受けた者として

私たちは主によって遣わされている場所で、王として正義と公正をもって治めているでしょうか。預言者として神のことばを語っているでしょうか。祭司としてとりなしの働きをしているでしょうか。また私たちに注がれた聖霊は「聖めの油」としても働きます。私たちの内にある聖くないもの、神に喜ばれないものを、私たちに示し、悔い改めに導くのです。

私たちが救われたのは、単に「私が永遠のいのちをいただいて天国へ行けるようになった」ということで終わらないのです。ときに王として正義と公正を行ない、ときに預言者として神のことばを語り、ときに祭司としてとりなし、「神のみこころをこの地に成し遂げる」という使命が与えられているのです。「私がキリストに従う者となった」ということは、私に繋がっている誰かに対して、霊的な影響力をもつということなのです。

そのようなことを思いながら、よみがえられたイエス様が弟子たちに語られたこの言葉に耳を傾けましょう。ヨハネ20:21-23です。

イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」”

5. 聖霊を受け取る

イエス様は「聖霊を受けなさい」と命じられました。「受けなさい」という言葉に、受け取る私たちの意思も関わっていることが分かります。あなたが聖霊を求めるなら、聖霊が注がれるのです。

私たちは主によって遣わされるとき、聖霊とともに遣わされなければ神の働きをすることはできません。23節をそのまま読むと、私たちの側に罪を赦すか赦さないかの決定権があるように読めますが、そうではありません。これはあなたが聖霊を受けるとき、福音を伝える相手を聖霊によって「罪の赦しの祈り」、すなわち「悔い改めの祈り」に導くことができるようになるということを表しています。

今年、一人一人が聖霊を受け取り、主の遣わされるところに派遣され、そこにいる人々が悔い改めに導かれるように取り組みましょう。ローマ10:15にはこのように書かれています。

遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。”

良い知らせを伝える人の足は、とあります。「足は」とあるのです。良い知らせを伝える人たちの「口は」ではありません。私たちは福音を語るというと「何を話そうか」とか、話す言葉を気にして「上手く話せないのではないか」と尻込みしてしまいますが、その人に福音を語り、理解させるのは「聖霊」です。その人に「イエスは主」と告白させ、救いに導くのも「聖霊」です。人を救いに導くのは、福音を語る人の能力によるのではありません。それは100%神様の働きなのです。しかし、主が働かれるところに足を向けて、実際に出て行くのは「私たちの決断」です。そして「その足は何と美しいことか」と言われているのです。私たちは日々、一瞬一瞬「主が遣わすところに行きます」と決断する必要があります。学校のクラスや会社の会議であっても「主が派遣してくださっている」と認識し、「主が私を必要なところに遣わしておられる」ということを意識するようにしましょう。

私たちは、どこに遣わされるとしても一人で行くのではありません。聖霊なる神様がともに行ってくださるのです。そのことを覚えることによって、私たちはその場所で王として、預言者として、祭司としての役割を果たし、貧しい人に良い知らせを伝え、心の傷ついた人を癒す働きをすることができるのです。また、あなたが「主によって遣わされる場所」に行く決断ができ、そこで神の働きをすることができるように、ファミリーのメンバーに祈ってもらいましょう。とりなしの祈りは神の御手を動かします。

6. 受け皿を作る

さて、ここまで「遣わされる」ということに関して見てきました。ここからは、私たちが遣わされた先で福音を語った人や、救われた人々のための受け皿について考えていきましょう。

私が10×10ビジョンを受け取ってしばらく経ったある日、アジアンアクセスジャパンという団体の代表をしている播義也牧師から声をかけられました。「池田先生、僕は日本伝道会議の分科会で『教会開拓・教会増殖プロジェクト』を担当しているのだけれど、このプロジェクトに関わっている先生方の間では『2023年までに2%のクリスチャンが起こされる』というビジョンが与えられているのです。このビジョンが与えられたとき、2%をとても高い山のように感じていたけれど、そんなときに池田先生の『10×10』の10%のビジョンを聞きました。私たちは富士山を見ていたけれど、先生はすでに富士山を飛び越えて、エベレスト・チョモランマを見て取り組んでおられたのですね。励まされました。」と言われたのです。そのとき直感的に「あっ、この2つのビジョンは繋がっている」と思わされました。

先週、沖縄でラブジャパン・祈りのサミットが開かれましたが、その中で金子道仁牧師が2023年の2%と、2024年の10%のビジョンを「今年2倍、来年5倍」と表現されたのです。これも「あぁ、なるほどな」と、私の中でストンと腑に落ちました。

博先生が、よくこのように言います。「ミッション3000という数字が表しているのは『人』です。3000という数字の前に一人の人が見過ごされてはいけません」と。私もそのように思います。まず今年、私たちを通してその「ひとり」が救われるように祈り、遣わされていきましょう。そして、その「ひとり」が救われ、養われ、成長する「受け皿」を教会として整えていきたいのです。そのような受け皿や体制を整えることができたら、救われた「ひとり」が、次の「ひとり」を連れてきやすくなるのではないでしょうか。そのようにして、私たちが神によって遣わされる覚悟をもち、教会が新しい「ひとり」を受け止める受け皿を用意するとき、2倍、5倍の祝福と広がっていくのではないでしょうか。

 教会には、常に十字架に向かって一つとなる「求心力」と、教会の外にいる人たちに向かって宣教していく「遠心力」が必要です。イエス様が地上におられたとき、その目はいつも十字架とともに、迷い出た1匹の羊に留められていたのです。

教会として、今年このような受け皿を考えています(図2)

(1)受け皿としての「牧会ファミリー」

まずは「牧会ファミリー」です。本郷台キリスト教会にとって、一番の受け皿は「牧会ファミリー」です。ここで週に一回定期的に会って、祈り合い、みことばを分かち合い、励まし合うことによって、私たちの信仰は強められ成長していきます。現在活動している牧会ファミリーは39あり、大学生以上で牧会ファミリーに加わっておられる方は357名います。これは礼拝出席者の約8割の方が牧会ファミリーに加わっておられるということになります。

10×10ビジョンの祝福を考えるときに、牧会ファミリーの充実は欠くことのできないとても大切なことです。牧会ファミリーから救われる人が起こされたり、新しく礼拝に集う人たちが牧会ファミリーに繋がったりするようにしていきたいと考えています。牧会ファミリーは、クリスチャンである私たちの生き方を示し、聖書の価値観を土台とした人間関係が築かれる場所です。また神の愛を中心とした交わりの場所です。世の中にはないこのような交わりは、必ず人々を惹きつけ、この世の人たちにとって必要な光となる働きだと信じています。

そのためにも、現在のファミリー牧者、副牧者が「10×10」ビジョンを共有し、自分のものとしていくこと、そして必要な霊的養いと訓練を受けることが不可欠です。そのために今年、主任牧師である私がここを担当するようにします。新しいファミリー牧者が生み出され、現在のファミリーが増殖し、新しい方々の受け皿となることが10×10の祝福を受け取るカギとなります。みなさん、是非お祈りください。

(2)受け皿としての「礼拝」

次に礼拝です。まずオンライン礼拝に関してです。本郷台キリスト教会の礼拝は、3年前からオンライン礼拝にも対応しています。これにより遠方に引っ越された方や、病気や高齢のために会堂まで来ることが物理的に難しかった方々も礼拝をささげることができるようになりました。

オンライン礼拝は祝福も大きいのですが、一方で「自分の都合の良いときにいつでも礼拝を受けられる」ということから、「礼拝の優先順位が低くなってしまった」とか「礼拝感謝献金を献げなくなった」という声も聞かれるようになりました。ですから、今年、継続的にオンライン礼拝で礼拝をささげておられる方で、状況の許される方は、できるだけ「時間」と「場所」を決めて礼拝をささげるようにしていただきたいのです。そして、できれば礼拝する場所を整えて、家族や近所の方にも声をかけていただけたらと思います。毎回の礼拝のために、チャペルは前日から準備し、祈って備えています。オンライン礼拝の方々の礼拝場所にも適切な備えと祈りが積まれ、その場所に主の霊が満ち溢れ、そこから祝福が広がっていくようにと願います。時間と場所を決めたら、ぜひ礼拝応答フォームで知らせてください。私たちもともに祝福を祈らせていただきます。

また今年、私が牧会ファミリーの建て上げを担当しますので、主日礼拝メッセージは佐藤先生が担当します。佐藤先生のためにも、新しい体制での礼拝のためにも、祈っていきましょう。またコロナウィルスのことはありますが、教会としては感染拡大防止対策を取りながら、会堂での礼拝に人を連れてきやすくなるような取り組みを考えています。

具体的には、第二礼拝と第三礼拝の讃美に特色を持たせていきたいと考えています。第二礼拝では、管弦楽の伴奏による讃美も取り入れていきたいと思います。ゆくゆくは本郷台キリスト教会のオーケストラが編成できれば素晴らしいと思っています。幸いダイヤモンドチャペルは夜でも音を気にせず練習できますので、楽器をやっていたという方、やってみたいという方はぜひ申し出てください。第三礼拝は、バンド形式でのワーシップをさらに充実させていきます。ご期待ください。

また礼拝前後にコーヒーでも飲みながら、ゆっくり交われる時間がもてるような場所づくりをしていきたいと思っています。本郷台キリスト教会の礼拝を通して祝福が広がっていくようにお祈りください。

(3)受け皿としての「集会」

そして、三つ目の受け皿は「新来者のための集会」です。「キリスト教には関心あるけど、礼拝はちょっと敷居が高い」という方々が皆さんの周りにもいらっしゃると思います。そんな方々を教会に連れてきやすいように週末の夜や、リタイヤした方のためには平日の昼などに、クリスチャンアーティストやゲストを招いて、教会の方々と知り合ってもらえるような集会も準備していきたいと思っています。是非お祈りください。

その他にも、一対一の学びのテキスト「イッポイッポクラス」、信仰決心者向けの修養会である「ライフクラス」、デボーションのための「毎日のみことば」、信徒向け弟子訓練コース「MDC」などの充実を図っていきます。

このように、私たちは「10×10」ビジョン実現の前年であることを覚えて、受け皿を整えていきます。しかし、教会としての方針や整えも大切ですが、何よりも私たち一人一人がカギを握っていることを覚えましょう。一人一人が、主によって遣わされた者であることを覚え、主の語りかけに耳を傾け、砕かれた器となり、良い知らせを伝えるための一歩を踏み出していきましょう。

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