お知らせ
1月 巻頭言「よろこび ひろがる リバイバル」
毎日のみことば1月号巻頭言
主任牧師 池田恵賜
2024年は、本郷台キリスト教会にとって節目となる年です。
10×10ビジョンの約束の年であり、ミッション3000のビジョンが与えられて30年目の年であり、創立60周年の年です。
この記念の年に与えられたみことばは、イザヤ書32章15節です。
「しかし、ついに、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる。」
素晴らしい希望に満ちた約束のみことばです。
しかし、これはイスラエルの混迷の時代に与えられたみことばでした。国の存続を脅かすような困難が次々と襲い、先が見えず、自分たちの世代でこの預言のことばが実現するかどうかも分からない中で、どれだけの人がこの預言を神の確かな約束のことばとして受け止めることができたでしょうか。
イザヤが活動していた当時南ユダ王国は、北はアッシリア帝国、南はエジプト王国という大国に挟まれて、常に国の存続のための難しい政治判断が求められていました。アハズ王の時代には、アラム王国と北イスラエル王国が侵攻してきましたが、アッシリアに助けを求め、阻むことができました(第二列王16:7-9)。しかし、アハズ王の子ヒゼキヤ王の時代には、そのアッシリア帝国が南ユダ王国に侵攻してきたのです。これに対してヒゼキヤ王は、ある時はエジプトと、ある時はバビロニア帝国と同盟を組もうとしました。
このように、それぞれが自国ファーストで謀略を巡らしているような時代でした。
一方で国内の状況を見ると、イザヤのような正しい主の預言者もいましたが、多くは偶像であるバアルを礼拝し神のことばに耳を傾けず、飢え渇いている者に手を差し伸べない者たち(イザヤ32:6)であったようです。また自分たちのところまでは被害が及ばないと考え、安逸をむさぼるグループもいたようです(イザヤ32:9)。
政治的な駆け引きで自国の安全を守ろうとする者や、自分さえ安全なら良いと国のことには関心のない者がいる状況、多くの者が真の神に頼ろうとしない状況は、現代の日本と何ら変わらないと言えるのではないでしょうか。その中で聖書の語るメッセージは明らかです。人が考え作り出す平和は脆く崩れ去るのです。神無しにこの世をまとめようとする力は、どこかで行き詰ると聖書は語るのです。
それでは混迷の時代に生きる私たちはどうしたら良いのでしょうか。大切なのは主を待ち望み(イザヤ30:18)、主の御声に聞き従うこと(イザヤ30:21)です。イザヤは混乱のただ中にあって神のことばを語り続けました。そして「しかし、ついに、いと高きところから私たちに霊が注がれる」との預言が与えられたのです。この注がれた霊によって正義と公正が与えられ、平和が作り出されるのです(32:16-18)。
この「注がれる霊」とは聖霊です。ペンテコステを経て、聖霊はいま私たち一人ひとりに注がれています。私たちの周りに平和が作り出されているでしょうか。リバイバルは神の国の支配が広がることです。そこには平和があり、喜びがあります。私たちに注がれた聖霊なる神様の導きに従うことを通して神の平和が成し遂げられるのです。今までの状況がどうであれ、今年ついに御霊が注がれ実り豊かな年となることを期待していきましょう。