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2024年2月4日 よろこび ひろがる リバイバル③

2024年2月4日 よろこび ひろがる リバイバル③
イザヤ書 33章10節 池田恵賜 主任牧師

先週に引き続き日本宣教の歴史から、リバイバルを考えてみたいと思います。初めに先週のメッセージを簡単に振り返っておきましょう。

1853年にペリーが来航したことから、日本は215年続いた鎖国政策を解き、開国しました。その後ハリスが駐日公使として来日し、在留外国人に対する「信教の自由」を獲得します。これにより、ヘボンをはじめ何人もの宣教師が来日して、日本宣教の備えをしました。

次に明治政府が1873年に「日本人に対してキリスト教を禁じた」高札を撤去したことにより、260年続いたキリスト教禁制が解かれました。秀吉の「バテレン追放令」から計算すると、実に286年もの間、日本でキリスト教は迫害されていたことになります。

それほど長く続いたキリスト教禁制が解かれた背後には、日本に来た宣教師たちを中心とした祈りと行動があったのです。

高札撤去の1年前、1872年には日本初のプロテスタント教会「日本基督公会」が発足し、横浜に派遣されていた宣教師の一人、ジェームス・バラが仮の代表牧師として就任しました。

1. J・バラの悔い改め

今日は、まずこのバラ宣教師の悔い改めから始まった「リバイバル」を見ていきましょう。それは日本基督公会で開かれた「初週祈祷会」での出来事でした。ちなみに、この「初週祈祷会」は、日本基督公会発足のきっかけとなった祈祷会ですが、1883年のリバイバルの起点ともなったのです。日本のプロテスタントの歴史を語る上で重要な働きを担った祈祷会です。

1883年の初週祈祷会で、バラ宣教師は自分の見た夢の話をしました。彼はこんな夢を見たといいます。「断崖絶壁の上に羊の群れがいました。とても危険な状態で一歩踏み間違えれば谷底まで落ちてしまうような崖です。しかし、羊たちは不思議と天からの光の中に集められていて、一匹も崖から落ちるようなことはありませんでした。私は『羊飼いはどこにいるのか』と捜してみました。すると羊飼いは、はるか彼方に杖を放り出して、気持ちよさそうに寝ていたのです」。ここでバラは目が覚めて愕然としたといいます。彼はこれを単なる夢と思わず、「自分がその羊飼いであった」と示され、皆の前で悔い改めたのです。

このバラ宣教師の牧者としての責任に対する悔い改めがきっかけとなり、祈祷会に聖霊が注がれ、参加していた人たちに熱い思いが起されたのです。そして彼らもまた福音宣教に仕える者へと変えられていきました。そして、その霊の炎は横浜から東京にも広がっていき、現在の青山学院大学の前身である東京英和学校や、その他のキリスト教主義の学校でもリバイバルの火として燃えあがり、そのとき多くの学生が回心したのです。

さらにバラ宣教師は、その年の4月に大阪でもたれた「第二回在日宣教師会議」で同じ夢の話をし、参加した106名の宣教師に向けて「一致」の必要性を説き、日本に遣わされた自分たち宣教師の間で「御霊の一致が必要」であること、日本人の働き人との間に「御霊の一致が必要」であること、それぞれの派遣教会と日本の教会に「御霊の一致が必要」であることを語りました。また、そのために祈る必要を訴え、その場で熱い祈りが献げられました。この会議の様子が各地に電報で伝えられると、リバイバルの炎は一気に全国に広がります。

長崎に遣わされていた宣教師が、そのときの様子をこのように報告しています。

主は長崎で栄光を現わすわざをなさっています。聖霊は、宣教師たちだけでなく日本人にも雨のように降り注がれています。これまでキリスト教を軽蔑してきた人たちも心から回心し、福音の正しさと力とを証言するようになりまた。……このニュースが町中に広がったので、数百人もの人たちが教会に集まって来るようになっています。……幾百人もの人たちが「まことの神」に関する知識に導かれる有様は様々な点で示されています。私はこのような衝撃的な出来事をかつて本国でも見たことがありませんでした。

このリバイバルの炎は、翌1884年に同志社大学にも広がり、そのとき「200人の学生が洗礼を受けた」との記録が残されています。また、東京では現在の明治座で伝道集会が行なわれ、3000人もの人が押し寄せて2階が落ちる可能性があったので「急遽、丸太で補強された」という話も残されています。そのようにして、リバイバルは東京、群馬、仙台、大阪、神戸、四国、九州にも広がっていきました。

1883年のリバイバルは、「それまで知的レベルにとどまっていた日本人の福音理解が体験、そして実践レベルにまで達した」と評価されています。救われた者たちは自分の罪を示され、悔い改めに導かれ、次には他者の幸せのために仕えるようになっていったのです。

この1883年の横浜での初週祈祷会に端を発したリバイバルのキーワードは「祈り」「悔い改め」、そして「一致」です。このリバイバルの結果、1882年には4367人だったプロテスタントの信徒が、1885年には10755人となったのです。

2. 3度のキリスト教ブーム

日本宣教の歴史を学ぶなら、日本には3度のキリスト教のブームが起きたことを見ることができます。

初めは安土桃山時代です。1549年に鉄砲とともにキリスト教が伝来されてから、時の権力者であった織田信長はキリスト教を取り込もうとして保護を加えます。ここから1600年までに日本のクリスチャン人口は一気に60万人にまで増えます。当時の日本の人口が1200万人ということですから、実に人口の5%がクリスチャンになったのです。人口比率でいうと、日本のクリスチャン人口率はこの時が一番高かったと言えます。しかし、この後バテレン追放令に続く、禁教令が出されたことにより、日本のクリスチャンは一気に減ります。そしてこれ以降、日本のクリスチャンは人口の1%を超えたことがありません。

次のブームは、バテレン追放令から実に286年後の1873年から1889年の16年間です。プロテスタントの信仰が伝えられたのもこの時期です。明治初期の「鹿鳴館時代」と呼ばれる期間になります。このとき政府は欧米との不平等条約改正に向けて欧化政策をとり、キリスト教にも保護を加え、これをきっかけにかつての武士階級や上流階級を中心に福音が広がります。

しかし、1889年には大日本帝国憲法が発布され、これにより天皇の絶対的権威が確立します。そして翌年には教育勅語が発布され、神国思想が徹底されることになります。これにより政府公認の学校において礼拝することや宗教教育を行なうことが禁止されました。

明治後期の辺りから欧化政策に反対する国粋主義者の力が強くなります。そして、これは1945年の終戦のときまで続きます。

先週お話したように、ここまでの期間を大きく括るならば、キリスト教が日本に伝えられてから1946年の天皇の「人間宣言」までの約400年間は、日本が「神以外のものを神としていた期間」といえます。

1945年、第二次世界大戦の敗戦によりアメリカからマッカーサー元帥が来日し、GHQが日本を支配します。クリスチャンであったマッカーサーは、このとき「1000人の宣教師を日本に送るよう」に、母国アメリカに要請します。そして、占領軍が支配している期間に第3のキリスト教ブームが起きます。海外の宣教団は積極的に宣教師を送り、数々の伝道がなされ、超教派の団体も設立されました。しかし、この期間においてもクリスチャンの比率は人口に対して1%を超えることはありませんでした。

3度のブームのいずれも、一般的な日本人の生活に福音が根付くまでには至りませんでした。ある学者は3つのブームに共通するのは、いずれも政治権力者からの支援があったときに起こったことだと分析しています。そして、その支援が止むとブームは急速に終息したというのです。

3. 1945年以降の日本

そのような時代を経て、私たちはいま信教の自由が保証される時代に生かされています。しかし天皇が神でなくなったとしても、日本人が「「まことの神」以外のものを神としている状態は続いている」と、先週お話ししました。それで、年表にこのように付け加えてみました。

調べてみると、実際に日本人が経済を「神」としてきたことが分かりました。

1954年、終戦から9年経った日本は、朝鮮戦争による戦争特需で経済的に豊かになり、好景気を迎えます。そして「こんな好景気は、初代の天皇とされる神武天皇以来、例を見ない」ということで、これを「神武景気」と名付けました。これは31ヶ月続きました。

次に来た1958年からの好景気は、神武景気の31ヶ月を上回る42ヶ月となったことから、神武天皇よりさらに遡って「天照大神が天の岩戸に隠れて以来の好景気」ということで、「岩戸景気」と名付けられました。

そして1965年、神武景気、岩戸景気を上回る好景気が訪れたということで、古事記に出てくる日本を作った神のひとり「いざなぎ」の名前をとって「いざなぎ景気」と名付けました。

「いざなぎ景気」の次の好景気は「バブル景気」です。

しかし、このバブル景気は泡がはじけるようにして終わりました。実際の価値以上の評価が生じた経済状態になっていたのです。ここで日本人は立ち止まって、経済至上主義ではない道を選ぶこともできたと思うのですが、2002年に好景気がやって来ると、それを「いざなぎ」の妻で女神の「いざなみ」の名前をとって「いざなみ景気」と呼びました。

経済が上向きになり景気が良くなると、それらに天皇や神々に由来した名前を付けて呼んでいるのです。これらは日本人が戦後、経済を「神」としてきた表れではないかと思うのです。

経済を「神」としたことで、様々な歪みが生まれてきます。高度経済成長期に男性は家庭よりも仕事を大切にするようになり、父親不在の家庭で育つ子が多くなりました。また急速な工業化に伴う環境問題も起きました。過度な競争社会による過労死の問題や、鬱など病気になる人も多くなりました。

私たちは、ここで一度立ち止まって、経済を神として来た期間を振り返り、評価する必要があるのではないかと思わされます。

4. ダイヤモンドチャペル購入時に教えられたこと

また、経済を「神」とするという危険性は教会にもあるということを自覚する必要があります。ダイヤモンドチャペルを購入するときに、私たち本郷台キリスト教会はそのことを示され、悔い改めた経験があります。

ダイヤモンドチャペルを購入する以前、平和台チャペルでの礼拝に人が一杯来るようになり、4回に分けて礼拝しても、礼拝中に酸素不足で人が倒れるなんてことが起き、私たちは新しい会堂を求めて祈っていました。そんなときに開かれた場所が、このダイヤモンドチャペルでした。「広さからいっても申し分ない」ということで、この物件の購入を決めた私たちは早速、必要な資金の計算をしました。「銀行はいくら貸してくれるだろうか」とか、「献金はいくら集まるだろうか」とか、「教会債をいくら分発行すればよいか」と話しました。

しばらくすると、貸してくれると思っていた銀行からまさかのゼロ回答がありました。融資できないというのです。すでに手付金を支払った後です。「手付金が無駄になってもこの話を白紙に戻した方が良い。そして、役員全員で教会員に謝ろう」という意見も出ました。しかし、そのゼロ回答の日の朝のデボーションで、当時の主任牧師にイザヤ33:10のみことばが与えられていたのです。

「今、わたしは立ち上がる。──【主】は言われる──今、わたしは自らを高く上げ、今、わたしは自らを高める。
イザヤ33:10

初めこのみことばが与えられたとき、何のことを指しているのか分からなかったのですが、銀行のゼロ回答を受けたときにハッキリと分かりました。「そうか、私は神様を頼りにしないで、銀行を頼りにしていたのだ」と気づかされ、まず主任牧師の内に悔い改めが与えられました。そして、その悔い改めはそのことが分かちあわれたその日の役員会で役員全員の悔い改めとなり、次の日曜日、4回の礼拝すべてでこのことが分かちあわれたとき教会員一人ひとりの悔い改めとなったのです。

神様は、銀行からのゼロ回答でこの状況を作り出し、銀行ではなく「わたしに目を向けなさい。今、わたしは立ち上がるのだ。わたしこそ神である」と語られたのです。

そして、私たちは詩篇71:5を私たちの信仰として告白しました。第三版でお読みします。

神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です。
詩篇71:5【新改訳改訂第3版】

「神様、ごめんなさい。あなたよりも銀行を信頼していた私を赦してください。主よ、あなたこそ私の信頼の的です。」そのような悔い改めと信仰の祈りがささげられたときに神様は立ち上がってくださいました。そして、このダイヤモンドチャペルが与えられたのです。ハレルヤ!

私たちは、いまこそ天皇ではなく、お金ではなく、「まことの神」を神とするべきときです。

5. あらゆるコミュニティに10×10の祝福を

私たちが悔い改めをもって神の前に出るときに、神は私たちを赦し、祝福してくださいます。そこから10×10の祝福が始まるのです。私たちは、あらゆる分野に、あらゆるコミュニティに福音を携えた人が起されるように祈りましょう。日本に10%のクリスチャンが与えられるように求めましょう。

私はかつて、クリスチャンのメジャーリーガーが日本に来るときに地域の少年野球連盟に説明しに行きました。野球少年にとってメジャーリーガーと触れ合うめったにない機会ですから、どんなに喜ばれるかと思ったら、全く反対でした。クリスチャンという言葉に引っかかったのか、「どこの新興宗教の奴らが来るんだ」という感じで、協力してもらえませんでした。

しかし、考えてみると土日もなく野球に打ち込んできた人たちにとって、日曜日午前中しか扉が開いていない教会で語られる福音は、彼らの眼中に入らないと分かったのです。彼らは、そのような教会から「自分の人生を変える力をもらえる」とは思ってもないのです。

だから、教会は単にトラクト配布をして「福音を伝えた気になる」のではなく、実際にこの街のあらゆるコミュニティに出ていって、そこにいる人々と関係を築いて、福音を届ける必要があるのです。

10%のクリスチャンということは、10人に一人がクリスチャンということです。そうしたら、あらゆる分野に、学校のクラスにも、会社の職場の部署にも、自治会にも、スポーツチームにも、芸能界にも、政治の世界にもクリスチャンがいることになります。家が3-4件並んでいたら、そこに1人はクリスチャンがいる、電車に乗ったら10人に一人はクリスチャンという状態を想像してみてください。

私たちが「まことの神」を神として歩むときに、神様が10倍の祝福を注いでくださるのです。

最後にホセア書のみことばを開きたいと思います。ホセア6章1節3節です。

さあ、【主】に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、癒やし、私たちを打ったが、包んでくださるからだ。
私たちは知ろう。【主】を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように。

これは、当時のイスラエルの祈祷文のようなもので、本当の悔い改めがなかったため「言葉だけの祈りだ」と言われる箇所ですが、内容は大切です。

「主よ、あなたこそ、あなただけが私の信頼の的です」と、告白した私たちは主に本当の悔い改めをもって立ち返り、主を知ること、主のみこころを知ることを第一に追い求めましょう。そうするなら主は確かに私たちに現れてくださるのです。

この箇所を英語のNew International Versionで紹介してくださった先生がいます。

Let us acknowledge the Lord; let us press on to acknowledge him. 
As surely as the sun rises, he will appear; he will come to us like the winter rains, like the spring rains that water the earth.
Hosea6:3 NIV

下線の部分が「主は暁のように確かに現れ」という箇所にあたります。「As surely as the sun rises」と書かれています。「太陽が昇ってくる確かさをもって、主は現れてくださる」というのです。

今日、太陽が昇るかどうか考えた人はいますか?明日、太陽が昇って来なかったらどうしようと心配している人はいますか?そんな人はほとんどいないと思います。「今日昇ってきた太陽は、明日も必ず昇ってくる」それほどの確かさをもって「主は来てくださる」のです。

この日本を癒し、私たちを祝福しに主は来てくださいます。だから、悔い改めをもって主に立ち返りましょう。
そこからリバイバルが始まるのです。

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