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2024年6月9日 教会とは①

2024年6月9日 教会とは①
使徒の働き1章8節 池田恵賜 主任牧師

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2024.6.9 教会とは①
使徒の働き1章8節 池田恵賜 主任牧師

今日から使徒の働きを通して「教会」について考えていきたいと思います。

5/26のセレブレーションは本当に喜びが広がるときとなりました。準備委員会の方々はもちろん、舞台に立った方、裏方として支えてくださった方、また参加してくださった方、参加できなかったけれど祈りによって支えてくださった方、尊いささげ物によって支えてくださった方、お一人おひとりに心から感謝いたします。改めて「神様がこの60年間本郷台キリスト教会を導いて、いまここに皆さんと一緒に立たせてくださっている」と感じました。

6月号の「毎日のみことば」の巻頭言にも書きましたが、1世代30年と言われる時代です。来年61年目を迎える本郷台キリスト教会は、教会として2世代を越えて3世代目に入ろうとしているといえます。

神様の与えてくださる祝福は今がピークなのではなく、これから益々豊かになっていくと信じます。そして60周年のインタビューでも語りましたが「本郷台ができるならうちでもできる」と思う教会が増えて、日本各地で森の恵みが広がるように仕えていきたいと思います。

1. 変革する教会

さて、「本郷台キリスト教会の特徴は何か?」と問われるなら、その1つは「常に変革している教会である」ということです。

日本宣教リサーチが2016年に出した『「震災と信仰調査」報告書』という本の中に柴田初男先生が書かれたこんな一文があります。

“戦後の欧米の宣教師に主導された従来のキリスト教会の宣教のあり方は、ややもすれば福音宣教(特別恩恵[イエスの十字架による救い※1]としての救い)にのみ特化し、仏教や神道等の異教を排除し、日本の文化や習俗をも異教的として否定する「否定の伝道」を行ってきたと言える。そのようなキリスト教会の姿勢に対し、日本人からは、キリスト教は「西洋の宗教」として、自分たちとは関係がない宗教として受けとめられてきたきらいがあるのではないかと思う。”

(『「震災と信仰調査」報告書』東京基督教大学国際宣教センター日本宣教リサーチP112柴田初男) ※1は池田恵賜による加筆

そして、柴田先生は日本の教会はこれまで「伝道一本やり的な一方通行の情報伝達を行ってきた」と言うのです。かつて本郷台キリスト教会でもそのような伝道がなされていました。

毎年、伝道のための予算を組んで、春の伝道集会、秋の伝道集会を行ない、教会に人を集めるために多くのチラシを駅前で配布したり、戸別配布をしたりしたものです。当時は「チラシ1万枚に対して1人来る」と言われていた時代です。それをしていたら、たとえ新来者が来なくても「教会は地域に向けて扉を開き、伝道している」と考えていました。

しかし1989年に前主任牧師の博先生の内に5ヶ年計画が与えられ、「愛が結ぶ教会」として地域の方々の必要に目を留め、そこに神の愛をもって仕えるという方針が掲げられました。

すでに廃品回収やPTA会長、民生委員などを通して牧師個人レベルでは地域と繋がっていましたが、教会のビジョンとして掲げたことによって「地域に神の愛をもって仕える」という思いが1つの種のように教会員一人ひとりの心に蒔かれたように思います。

やがてその種が芽を出し、神のみこころを求める祈りがささげられるようになり、徐々に同じ思いを持つ方が集まり、様々な働きがスタートしていきました。やがてそれらの働きは法人格を取り、社会的責任を負うようになっていきました。5ヶ年計画が与えられてから35年間「愛が結ぶ教会」として歩んできた実が、先日の60周年記念セレブレーションに表されていたと思います。参加できなかった方はホームページから是非ご覧ください。

さて、話を本題に戻します。創立60周年を迎えた今年、私たちはここでもう一度、教会の原点を「使徒の働き」から見ていきたいと思います。

今日はシリーズの一回目でイントロ的な部分があるので、使徒の働き全体から大切なポイントを押さえておきたいと思います。

2. 「福音と宣教」

使徒の働きは、ルカの福音書の続編として書かれました。使徒の働きには、初代教会の歴史が描かれています。使徒の働きを通してルカが最も伝えたかったことは何でしょうか。

ルカという人物は医者であり、優れた文学家でもありました。ルカの福音書や使徒の働きを読むと、彼が事実をよく調べ、文体や構成なども注意深く考えて書いているのが分かります。

どのような文章もそうですが、もし文章の最初と最後に同じことを書いていれば、それは著者の最も言いたいことだと分かります。そして、それは「使徒の働き」においても言えることです。

まずそのことを見ていきましょう。ルカは使徒の働きの初めに何を書いているでしょうか。

使徒1:3です。

イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。”使徒1:3

続いて、使徒の働きの締め括りを見てみましょう。使徒28:30-31です。

パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。”使徒28:30-31

この2ヶ所に共通しているのは、『「神の国」と「イエス・キリスト」について語られた』ということです。もう少し言うなら『「神の国」と「復活されたイエス・キリスト」が宣べ伝えられた』と言っても良いでしょう。つまり、福音のメッセージです。これが使徒の働きを通してルカが伝えたかったことと言えます。

しかし、この2つの聖書箇所には共通点とともに変化している点もあります。変化しているのは、使徒1章でこのことばを語っているのは「イエス・キリスト」であるのに対して、使徒28章では語っているのが「パウロ」だということです。そして語られた場所は、使徒1章は「エルサレム」であるのに対して、使徒28章では「ローマ」です。

ここから分かるのは『語る人物、場所は変わっても「福音の中身・メッセージ」は変わっていない』ということです。そして、ここにルカの最も伝えたいメッセージが込められているのです。それは「福音のメッセージが変わらずに受け継がれ、広がっていく」ということです。つまり、まとめると「福音と宣教」ということが使徒の働きを貫いているテーマなのです。このことが分かると「使徒の働き」という書物がよく見えてくるようになります。

使徒の働きは28章31節でとても中途半端に終わっているので、「ルカは第3の書物を書こうとしていた」という聖書学者もいます。確かに「その後パウロがどうなったのか」、「ペテロはなぜ途中から出てこなくなったのか」など、使徒の働きを読むと疑問が残る点があるのですが、使徒の働きの中心テーマが「福音と宣教」であって、イエス・キリストから始まった福音のメッセージが、「人は変わってもその中身は変わらずに受け継がれている点」、そして「その福音は様々な困難を乗り越えて広がっていった」という視点で見ると納得できます。

福音のメッセージはイエス・キリストの復活によって完成し、エルサレムから始まって、そのメッセージは変わることなくローマにまで届いたということをルカは強調しているのです。今日は、この福音のメッセージがどのように広がってきたかに焦点を当てて見ていきましょう。

(1)エルサレムにて

まず、よみがえられたイエス・キリストによって完成した福音のメッセージは、使徒たちに受け継がれました。その時の様子が使徒2:1-4に書かれています。

五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。”

十二使徒たちはエルサレムにいました。ペンテコステの日、彼らが集まっている場所に聖霊が下り、福音を大胆に語り出したのです。それを聞いた人たちはこのように言っています。

使徒2:11bです。

あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。”

聖霊に満たされた使徒たちは好き勝手に話していたわけではありません。その場にいた人たちが分かる形で福音を語っていたのです。そして、その日エルサレムにリバイバルが起こり、3000人の人々が救われたのです。

(2)ユダヤにおいて

次に目を留めたいのは使徒4:24a、29-31です。

“これを聞いた人々は心を一つにして、神に向かって声をあげた。「…
主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒やしとしるしと不思議を行わせてください。」彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した”

ここはどのような背景かというと、使徒3章でペテロとヨハネがエルサレム神殿の「美しの門」にいた生まれつき足の不自由な人を癒やしたことから、結果的に2人は取り調べのため捕らえられるという事件が起きた場面です。2人はその晩、留置所に入れられ、翌日尋問を受けました。その時の尋問の様子が使徒4:5-7に書かれています。

翌日、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちは、エルサレムに集まった。大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロと、大祭司の一族もみな出席した。彼らは二人を真ん中に立たせて、「おまえたちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか」と尋問した。”使徒4:5-7

そこには大祭司一族を始めとした「ユダヤを代表する」人々が集まっていました。結局、大祭司たちもペテロとヨハネを有罪にすることができずに2人は釈放されます。

使徒4:18-21です。

そこで、彼らは二人を呼んで、イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならないと命じた。しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えた。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」そこで彼らは、二人をさらに脅したうえで釈放した。それは、皆の者がこの出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、二人を罰する術がなかったからである。”使徒4:18-21

このことがあってペテロとヨハネが仲間たちのところに行き、事の次第を報告し祈ったときに、先に読んだように聖霊が下ったのです。これはユダヤで起こった出来事といえるでしょう。

(3)サマリアにて

次に目を留めたいのは使徒8:14-17です。

エルサレムにいる使徒たちは、サマリアの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところに遣わした。二人は下って行って、彼らが聖霊を受けるように祈った。彼らは主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだ、彼らのうちのだれにも下っていなかったからであった。そこで二人が彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。”使徒8:14-17

サマリアというのは、混血になったイスラエル人が住んでいる地域です。イスラエル人は「民族としての純血を守る」ということを大切にしていましたから、他の民族の血が入ったサマリアの人々をさげすんでいました。ガリラヤ地方に住むイスラエル人はエルサレムに行くとき、わざわざ遠回りしてでもサマリア地方を避けるほどの徹底ぶりでした。

ペンテコステの後、そのサマリア地方にピリポが出掛けて行き、人々が救われたのでペテロとヨハネが遣わされ、祈ったところ聖霊が与えられたのです。

3. 異邦人に聖霊が下る

さて、ここまで、聖霊がエルサレムに下り、ユダヤ、サマリアにも下ったことを見てきました。次に目を留めたいのが使徒10:44-45です。

ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った。割礼を受けている信者で、ペテロと一緒に来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことに驚いた。”使徒10:44-45

ここはコルネリウスという、まことの神を信じ礼拝していた百人隊長のところにペテロが遣わされ、祈ると聖霊が下ったという箇所です。異邦人にも聖霊が下ったというのは当時衝撃的な出来事で、ペテロは他の使徒たちに説明を求められます。そこに至るまでの導きを話した後、人々は納得してこのように言っています。使徒11:18です。

人々はこれを聞いて沈黙した。そして「それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。”使徒11:18

4. 聖霊と教会

ここまで「福音の広がり」ということで、使徒の働きを横断的にみてきました。使徒の働きのテーマが「福音と宣教」であること、そして福音はエルサレム、ユダヤ、サマリア、異邦人へと広がっていき、そのスタートに聖霊が下ってきていたことが分かります。

みなさんはもうお気づきだと思いますが、これは使徒の働き1章8節のみことばの成就です。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」”使徒1:8

そして、そのために鍵となり用いられた人物はペテロでした。なぜ、彼がすべての場所にいて、彼が祈ると聖霊が下ってきたのか、思い当たるのはマタイ16:15-19です。

“イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」”

イエス様は、ペテロの「あなたは生ける神の子キリストです」という告白に対して、ペテロを祝福してこのように言ったのです。このペテロの告白こそ、人類が初めて「イエス・キリストは誰なのか」ということを正しく告白できた瞬間でした。その告白の上にキリストは「ご自身の教会を建てる」と宣言されたのです。

イエス様はペテロに天の御国の鍵を与え、ペテロはそれを用いてユダヤ、サマリア、そして異邦人のいる地の果てに出て行き、祈ったのです。それにより聖霊が下りました。このことはユダヤ人の地にも、サマリア人の地にも、異邦人の地にも「聖霊によって教会が建て上げられる」ということの証明です。この教会は、いまも「福音と宣教」の働きを神様から託されているのです。

私たちは「イエスこそ神の子キリストです」と告白する教会として、この大切な使命を聖霊とともに果たしていく必要があるのです。

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