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7月 巻頭言「ストレスと神」

毎日のみことば7月号巻頭言
主任牧師 池田恵賜

先日、「ストレスフリーな社会を目指して」というキャッチコピーが目に留まり、ふと気になって「ストレスフリー」という言葉を検索してみました。ストレスフリーとは、ストレスが一切ない状態を表す言葉だそうです。「ストレスが一切ない社会」を目標や理想として掲げるのはいいのかもしれませんが、そのために実際に活動していくのは大変で、その活動によってストレスが増えるような気がしました。

私たちの生きているこの社会では、ストレスをなくそうとする以上に、ストレスとどのように向き合っていくかが大切なことのように思います。もちろん過度なストレスは良くありませんが、ある程度のストレスは生きる張り合いにもなります。聖書を読むとアブラハムも、モーセも、ダビデも、パウロも、様々なストレスを抱えながら成長していく姿が書き記されています。

ある調査会社が調べたところ、現代の日本人が抱える一番大きなストレスは「職場や学校での仕事や勉強の量や内容」だそうです。みなさんはどうでしょうか。どんなことにストレスを感じているでしょうか。この調査結果には他に「人間関係」、「将来への不安」、「健康問題」、「お金のこと」なども挙げられています。

これらのストレスの要因をどこに見出すかということは大切なことです。それによって私たちの行動が変わってくるからです。例えば「職場でストレスを感じる」人がその要因を自分の外側に見出すならば、「仕事量が多すぎる」、「上司が悪い」、「会社が悪い」と考えます。ストレスの要因を自分の内側に見出すならば、「できない自分が悪い」、「自分は要領が悪く、人に迷惑をかけている」と考えます。そして、それぞれに踏み出す次の一歩が変わってくるのです。

しかし私たちクリスチャンは、ストレスの要因を自分の内外に見出すだけでは十分ではありません。もう一つの視点を持つ必要があります。「神様がこの状況を私にゆるされた」という視点です。
パウロは肉体のとげ(おそらく何らかの病気、または弱さ)を与えられ、それがストレスとなっていました。そこでパウロは「これを取り去ってください」と三度神様に祈りましたが、それは取り去られませんでした。その後パウロはこのように書き記しています。

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 第二コリント12:9

神様から祈りの答えをいただいたとき、それが本来願っていたことでなくても、パウロはそれを喜びました。弱さを抱えた自分を通して神が働かれることを知ったからです。
ここに、ストレスのかかる状態にどう向き合えばよいのかの示唆が与えられています。神と交わり、神の語りかけを受けるとき、私たちはストレスを全く別の角度から見て受け止めることができるようになるのです。どのような状況の中でも真実な神に目を留め、神の御声に耳を傾けるようにしましょう。

[※付記:過労死などにつながる過度のストレス状態は危険です。自分一人で対処できないと感じた時は、信頼できる人に相談しましょう。また、過度のストレスにより、自ら対処したり相談したりできないほどの状況に陥ってしまう場合もあると思います。そのような場合は周りからの助けが必要です。
自分のストレスについて神様から助けや解決が与えられたら、周りにも目を向けて、助けを必要としている人がいないか、神様に聴きましょう。そしてそのような人を見つけたら、神様がその人を助けてくださるようにとりなしつつ、その人に声をかけるなど、示されることを行いましょう。そのような愛の関係を通しても、神様は働いてくださいます。]

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